鹿児島夫婦殺し事件最高裁判決(第一小法廷1982年1月28日判決)の最高裁判所判例解説(刑事篇昭和57年度【2】)を読んでいて、割と踏み込んだことをいうと思ったら木谷「調査官」の文であった。和光修習開始時点の宿題教材だったので当時も何らかの解説は読んでいたはずであるが、不明にして今まで知らなかった。
同解説において、氏は、誤判原因について、法曹三者の何れにも問題とされるべき点があったと思われると指摘の上、軽微な別件による身体拘束状態で長時間本件の取調べを受ける事態となったことについて、次のように指摘している。
「被告人が、とうてい実刑判決の予想されない軽微な右別件について、起訴後判決宣告までの二月以上もの間、公判で事実関係を認めているにもかかわらず、身柄拘束を継続されたからである。」「右別件に関して選任された国選弁護人が、勾留中の被告人と十分な連絡をとり、右別件の迅速な処理又は保釈による身柄の早期釈放に努力し、裁判所の理解を得ることができたならば、右別件の身柄拘束状態が捜査官によって長期間本件の取調べに流用されるという不当な事態は、未然にこれを阻止することができたと思われるのであって、右別件の審理の経過は、われわれに、弁護人とくに国選弁護人の役割の重大さ及び裁判所の適切な訴訟指揮の必要性を痛感させるに十分である。」(前掲書50頁)
手放しで褒めるわけにはいかないが、2005年まで刑事事件に関する最低限度の準則すら持ち合わせていなかった弁護士会と比べて、その先進性は明らかであろう。どうしてこの状態で釈放に向けて動かないのかと思わされる事案は未だにしょっちゅう見るが、冤罪の片棒担ぎをしているかも知れないという緊張感を(身体拘束の分野に限らず)持つべきことは当然である。
他方で、この調査官意見では、弁護人が動かなかったのが悪い、裁判所の非は、せいぜい身体拘束の長期化を気にしながら迅速に進めなかった点が問題だといわんばかりである。なるほど起訴後2ヶ月間の勾留は自動的に行われるものなので、「右別件」の起訴後勾留を直接決定した裁判官はいなかったかもしれない。起訴状を受け付けた時点では、軽微という点はともかく認め事件とまでは分からないのだから、起訴後勾留に疑問を持たなかったことに裁判所の非はないと言いたいのだろう。しかし、そこで止まっていては同じことが繰り返されかねない。起訴後の自動的勾留2ヶ月間に令状主義が及ばないという思考停止にも、何らか言及されて然るべきであったと感じた。
(弁護士 金岡)