2021年12月付け、出入国在留管理庁作成の「現行入管法の問題点」が公開されていたので読んでみた。反省の欠如した、というよりは、そもそも反省しようという機能すら欠如している醜悪な代物であった。

例えば「退去強制令書が発付されたにもかかわらず退去を拒む外国人(送還忌避者)」の存在を論い、「一部の諸外国において、退去命令等の違反罪あり」とする。
しかし、現実に、退令発付処分が違法として取り消されている事例は幾らでもある(外国人の司法アクセス、本邦の法制度に対する知識、資力、体力等から、違法な退令発付処分がそのまま確定してしまった暗数が遙かに多かろうことも明らかである)。
そうすると、退令発付処分が正しいとは限らないことを前提に、まずは違法にも退令発付した(往々にして結果的に違法な収容を伴う)ことについて原因を分析する方が先だろう。自らの間違いは顧みず、退令発付処分に逆らう方がおかしいと言わんばかり「送還忌避者」等という品性の欠片もない(或いは失礼極まりない)namingをし、執拗に権限強化を求める姿勢は、はっきり言って、異常だ。
「現行入管法の問題点」には、肝心の、入管はなぜ間違うのか、という問題は一切、取り上げられていない。例え1件でも、誤送還、過剰収容を許容すべきで無い。であれば、権限強化により事態を更に誤送還、過剰収容方向に進める前に、入管行政に法治を導入することが先決であることは自明であり、それのない「現行入管法の問題点」の問題点は明らかである。

また例えば、難民認定申請についてもかなりの分量が割かれているが、「本国の治安に対する不安」を理由とした難民姿勢を濫用的と決めつけている。しかし、国籍国に保護能力が欠如している場合は難民問題であることは、国際的には常識であり、我が国の裁判例上も、徐々に、これを難民問題として受け止める事例が増えている(例えば名古屋地判2004年3月18日は「政府が支配地域の居住民を十分に保護する能力に欠け,当該居住民が生命,身体又は重要な自由権の危険にさらされる場合」を難民問題とした)。
「本国の治安に対する不安」を理由とした難民申請を濫用的と決めつけている入管に、権限強化を語らせるなど、笑止である。ここでも、難民認定手続を抜本的に改善し、どの国に庇護を求めても同じように保護されるだけの国際水準に適った難民認定手続を確立すべく、法治を導入することが先決である。
なお、後述の国会質疑において、児玉弁護士は、「日本の難民認定率は一%あるいはそれを切るぐらい、海外で、カナダとかですと五〇%を超えるような認定率があります。何で日本だけ九九%の人が、濫用者が来るんでしょうか。本当にそうなんでしょうか。」と述べている。至当である。

難民認定申請については、ある難民審査参与員が国会において「難民と認定できたという申請者がほとんどいないのが現状」「難民の認定率が低いというのは、分母である申請者の中に難民がほとんどいないということを、皆様、是非御理解ください。」と発言したことが、わざわざ紹介されている点も目を惹く。
この発言は、第204回国会・衆議院法務委員会・第16号・令和3年4月21日で読めるので(柳瀬房子氏)、嘘ではない。
嘘ではないが、先の児玉弁護士の指摘を踏まえてみると、日本にだけ「申請者の中に難民がほとんどいない」事態が統計的に有り得るか、に対し、無理がある経験則であろう。
まあ、識者がそれぞれに発言することは良いとして、「現行入管法の問題点」の問題点は、この柳瀬発言だけを強調し、他の難民審査参与員の発言を取り上げないという、偏頗ぶりにある。
即ち、同じ質疑の中で、市川参与員は、「一年半で数名の難民認定をしました。それから、在留特別許可も与えました。」と発言している。柳瀬氏を含む合議体は「申請者の中に難民がほとんどいない」とし、市川氏を含む合議体は「一年半で数名」以上を保護した。かなりの差がある。柳瀬合議体だけを紹介し、市川合議体は紹介しない、というのは、あからさまな情報操作である。
都合の良い情報だけを採用し、不都合な情報には背を向ける、それこそが「現行入管法の問題点」の問題点であることは論を待たないだろう。

問題点はこれに尽きないので、関心の向きは、是非、現物を読まれると良い。
変えられるべきは、入管法では無く(逆の意味では、入管法は変えられるべきである)、入管の方だ。

(弁護士 金岡)