A事件とB事件で勾留された被疑者についての準抗告事案である。
どちらも捜査が先行した蒸し返し逮捕の疑いが濃厚であることが中心的論旨であったが、裁判所は、「少なくともB事件について別件勾留中に同時処理しなかったことを捜査の懈怠と評価することはできず」として準抗告を棄却した(名古屋地裁刑事第3部、宮本聡裁判長)。
「少なくともB事件について」と書かざるを得なかったのは、A事件について問題があることを否定できなかったからだろうと、その時はそう読んで素通りしたのだが、(年も明けて)改めて考えてみると、A事件について判断を避けることが許されるのか?という疑問が生じた。
A事件とB事件とで起訴前勾留されていることと、B事件のみで起訴前勾留されていることでは、無論、色々な違いが生じるだろう。
例えば、B事件のみで起訴前勾留されているなら、A事件のみの関係者との関係で接見禁止を付することは不可能になる理屈になる(B事件について包括的に付したとしてもA事件関係者からの解除申立が容れられない理由が無くなる)し、仮に取り調べ受忍義務を肯定するとしても、A事件が在宅案件と化せばA事件についての取り調べ受忍義務が否定されることは論を待たなくなる。
両事件で起訴されたとしても、A事件の起訴後勾留があるとないとでは、保釈裁判に影響が生じよう。
こう考えると、A事件とB事件で勾留された被疑者についての準抗告事案では、裁判所は、どちらか一方で勾留が維持できることを理由に棄却することは許されず、一つ一つについて判断を加えなければならないのではないだろうか。
これまで考えたことは無かったが、このように考えることが事件単位からの素直な帰結でもあるはずである。
結局、名古屋地決は、B事件についての勾留の適法性が明らかであることを理由に、AB両事件での勾留を認めるという、お話にならない判断をしたことになる。B事件でしか勾留が維持できないなら、AB両事件を被疑事実とした原決定を取り消し、改めてB事件のみの勾留決定を行うしかなかったはずである。勾留を維持することのみに汲々として、申立理由を正面から受け止めようとしないから、A事件に無理矢理に蓋をした結果、このようなことになると評価して、言いすぎではあるまい。
(弁護士 金岡)