本欄本年2月4日では、余りの名古屋高裁判決に憤激やる方なく毒付いたが、冷静な評価には正しい事実関係が必要である。以下、事実関係を整理し、後藤昭教授の意見書も紹介した上で、振り返っておきたい(なお、逮捕関係の違法性以外の論点は省略する)。

(事実関係)
罪名は迷惑防止条例違反。本題からは逸れるが一審無罪で確定している。

A月23日   逮捕(①)
A月24日   勾留却下(準抗告なし)
~(A+2)月   5回に亘り警察に出頭、弁護人立会が入れられず取調べ実施なし
~(A+4)月   2回に亘り検察に出頭、同上
(A+4)月26日 逮捕状却下(②)
(A+5)月1日  逮捕状発付(③)
(A+5)月8日  逮捕→起訴
(A+5)月8日  逮捕中求令状却下、検察官準抗告に対し執行停止せず棄却

(第1審の判示)
・③の逮捕状請求の適法性
弁護人の立会の可否を巡って捜査機関と対立する状況が継続する中で、罪証隠滅、逃亡を疑うに足りる相当の理由が高まってきており、明らかに逮捕の必要性がないという状況ではないと判断することが検察官として根拠の欠如した不合理な判断であるとまではいえない
・③の逮捕状発付の適法性
(判断せず。「担当裁判官が明らかに逮捕の必要性がない場合には該当しないとして本件逮捕状を発付したことについても(国賠法上の)違法があるとは認められない」との判示のみ。)

(控訴審の判示)
何れも本欄本年2月日で引用したとおりである。
なお、逮捕状発付の適法性について原文を引用すると、「本件逮捕状の発付は、刑訴法及び刑訴規則の定める要件を満たし、国家賠償法1条1項の適用上これが違法であると解することはできない」となっている。

(寸評)
両判決を比較すると分かるが、一審判決は、逮捕状請求は「検察官の立場から請求することが不合理であるとまでは言えない」とし、逮捕状発付も(刑訴法の要件を満たしているかどうかはさておき、同様に、)担当裁判官の判断に国賠法上の違法があるとは認められない、という言い回しに終始している。平たく言えば、「事後的に即釈放命令が出ていても、取り敢えず検察官的な発想で令状を出してしまうことも不合理とまでは言えない」ということで、国賠法の壁の高さに阻まれた感がある内容である。
これに対し控訴審判決は、少なくともその文章上、国賠法を離れ、「刑訴法及び刑訴規則の定める要件を満たし」と言い切ってしまっている。一度、勾留請求が却下され、再逮捕状請求も一旦却下された(②)という経過がある中で、その僅か5日後の再逮捕(の再挑戦)が刑訴法上、適法だと言い切ってしまっており、而して、新たに、罪証隠滅、逃亡を疑うに足りる相当の理由を発生させうるのは、唯一、取調室に入らなかったことだけなので、危機的な判決と言わざるを得ないのである。

(後藤意見書)
本件は「古田立会国賠」と名付けはしたが、本質は最早、弁護人立会の当否を巡るところにはないのかもしれない。

控訴審で意見書を提出された後藤昭教授は、「本件を解決する上で、この解釈論争(※弁護人立会権)に結論を出す必要はない」と冷静に分析され、「取り調べに弁護人を立ち会わせることが違法であるという見解はない」「取調への弁護人の立会いが法律上禁止されていないことは明らか」「在宅被疑者は、取調べに応じる条件として、取調べに弁護人を立ち会わせるように求めることができる。・・捜査官としては、弁護人を立ち会わせて取調べをするか、取調べを断念するかの選択しかない」「その自由(※弁護人立会を求める自由)を行使することを逃亡または罪証隠滅の意図の徴表として考えることは、正当な選択権の行使を逮捕の理由とすることになるので、法の趣旨に反する・・法が予定する逮捕の目的にも反する」と明快に説明されている。

弁護人立会権の議論は、現時点でもなお解釈論争的なところが残るが、少なくとも求める自由自体は否定できない(国会における政府答弁でも取調官の裁量だと説明されている)のだから、求める自由に対し(他に逮捕の必要性を基礎付ける事情がないのに)逮捕でもって臨むことが正当化できないことは、現行法上、揺るぎないところであろう。

(弁護士 金岡)