薬物、窃盗、性犯罪・・依存性のある嗜癖性の犯罪について、単純化すれば「意図せず病気になったとして、その病気が原因で犯罪に至る場合に、どこまで責任非難できるのか」は弁護人なら一度は考える問題なのではなかろうか。
検察官、裁判官は無邪気に「立ち直りの機会が与えられながら再犯に及んだことは遵法精神が希薄な証左」と論難するが、病的なmechanismにより意思による制御が少なくとも通常より困難であるなら、その分、責任非難は難しいはずだ。
この手の議論は、今に始まったことではなく、様々な領域で研究書は出されているが、本年4月に刊行された本書は、ギャンブル症を中心に、丁寧で行き届いた、最新の議論を展開しているように感じられた(そして、内容は固いが僅々200頁弱なので通読しやすい)。
弁護人的には、第9章「治療の基本と臨床実践の工夫」以下に関心を惹かれた。
単純化すれば、原因を見つけて処方箋を実行すれば治るはず、なのであるが、勿論、ことはそう簡単ではない。
筆者によれば、2022年現在、薬物療法の有効性は確定していない、心理社会的治療は有効とされている、とした上で、本書では併存疾患がある場合を含めた治療に詳細な言及がされている。筆者が力を入れられているとのことであるが、集団療法の本質についても説明がある。
弁護人が持ち込む先を見つけ、あるべき処遇に説得的な論を展開するには、身につけておくべき知識であろう。
現在の科学的知見が「脳の報酬系回路のドーパミン神経系を過度に作動させ、病的な変化をもたらしている」「意志が弱いからアディクション行動をやめられないのだと言われている。そうではない。・・アディクション問題には生物学的基礎がある。」(122頁~123頁)ところまでは解明できているとすれば、冒頭に述べたような刑事司法は、正に化石時代の遺物と言うべきだろう。
(弁護士 金岡)