医学文献などを証拠請求して不同意にされた、どうしたらいいだろうか、というような相談を時に受けることがある。有名どころの教科書などを不同意にされた場合の憤懣やる方無しの気持ちは、まあ分かるし、品のない検察官に当たったんだろうと同情もすることはする。

さて、この問題で思い出すのは、既に数年以上も前の飲酒運転案件で、検察官が1960年代のものだったか、ともかく古い良く分からない文献(飲料メーカーの実験の類いだった)を323条3号の特信文書で押し込もうとしてきたことである。
一体、文献の証拠能力は、立証趣旨によって左右されることになるが、「その記載内容が正しい」という立証趣旨なら、当然、反対尋問権が保障される必要があり(その事案は、アルコールの体内における動態と経過時刻の関係の文献だったので、当然、内容立証の方である)、こんなものを臆面も無く特信文書(=反対尋問に代わる信用性の情況的保障がある)というようでは恥知らずもいいところだなと感じたものだ。

最初の質問に戻ると、前記のような立証趣旨の場合は伝聞法則に服するといわざるを得ず、幾ら定評がある雑誌に掲載されようと著名人名義であろうと、反対尋問権の保障を要すると解すべきであって、要するに伝聞例外で押し込むことは無理があるし、弁護人が伝聞例外でゴリ押せば、別の事案で検察官に同じ手口を許すことになるので危険な呼び水でしかない、と考えている。
時に裁判官が「文献なので弁論に添付していいですよ」ということもあるが、「誰々教授の著書に弁護人と同じ見解が記載されている」といった存在立証ならともかく、「このような現象があれば死因はこれこれと断定できる」のような内容立証の文献を、不同意にしているにもかかわらず文献として提出を認められてはたまらないので、立証趣旨次第で明白に違法な取り扱いである。

ところで、近時、弁護人から医学文献を323条3号の特信文書で採用するよう求め、裁判所がこれを採用する一幕があった。
尤もこれは、当該医学文献が検察側鑑定人の依拠した鑑定資料に含まれていたため、そのような鑑定資料に基づく鑑定書を証拠請求してきた検察官において当該鑑定資料に対する反対尋問権の保障を要求できる筋合いではない、というところに特殊性があった、と分析される。検察官は、検察側鑑定人の鑑定資料であるのに、あろうことか不同意意見を述べて鑑定資料を証拠とすることに反対したが、余りにお粗末というべきだろう。
あくまで特殊事例と位置付けたい。

(弁護士 金岡)