講談社「脳はなぜ都合よく記憶するのか」(ジュリア・ショウ)を読んだ。
一般向けながら最新の研究を豊富に取り入れており、久しく法と心理学会誌の精読を怠っている身には良い刺激であった。
とりわけ第6章「優越の錯覚」、第7章「植えつけられる偽の記憶」は、裁判実務家には必読と言えるかもしれない。以下、何カ所か抜粋してみる。
「人間は多くの心理的バイアスを見せるものだが、その中でも、非常に普遍的で、強力で、どこにでも存在するものの一つが過信だ」(2011年のネイチャー誌掲載論文より援用したもの、本書165頁)。
「実にほぼ半数の被験者が、たった今、見た人物の写真を正確に選べなかったのだ。」「・・結局のところ、人は非常に分の悪い状況に置かれても、加害者を特定する自分の能力を過大評価するのが一般のようだ」(2013年のマシュー・パーマーらによる実験結果を紹介したもの、本書179頁以下)。
「古代ローマには、これにぴったりのすばらしい法律があった。『他の証拠による裏付けのない証言は、証拠がないのと同じこと』」(本書183頁)。
「けれども人はたいてい、記憶の矛盾を示す証拠と向き合ったりせず、たとえそれが筋の通らないことでも、自分の個人的な現実として受け入れる・・感情的な記憶でさえ、まったくの偽物であるかもしれない。」(本書201頁)。
いかに証言に依存するのが危険か。
自信に満ちた証言だから信用できるという経験則はない(「確信度」として本邦の心理学方面でも研究されている)。
正常心理でも記憶を都合よく編集してしまう可能性が残る。
そのような危険をわきまえて証言の評価に向き合っているだろうか。
(弁護士 金岡)