憲法の初歩として、国会議員には手厚い身分保障があることを学ぶ。王権との抗争の中で王権による干渉から議員を守る(樋口)とか、「議会制度に伴う自然法」等というと如何にも時代錯誤的に感じるだろうが、政府の一存で軍拡まっしぐらをやっている現在の政治状況を見るに、「いつか来た道」を警戒することは寧ろ当然だろう。
その意味で、多数を恃んで少数派議員を除名してしまう問題については、法律家としては関心を持たざるを得ないし、とりあえずの出発点はもとより懐疑的に見るべきだと思われる。今回の件で少しく文献をひもとくと、除名権までを議員に与えることは比較法的にも希だという指摘(新基本法コンメ)もある(他方で同書には、不逮捕特権に関し、その意義を十分に尊重しつつも不当な濫用を許さない論理構成が求められるとの記載もあるところではある)。
除名がされた場合、地方議員と異なり司法救済は存在しないという見解(宮沢説)を前提とすると、多数の横暴による除名により、少なくとも相当長期間(次の選挙まで~国会法123条)、その目的を実現できてしまうことを思えば、極限的な場合(具体例が想定しづらいほど)しか許されまい。
そこで現在の話題についてであるが、事実認定として、「不当な逮捕により帰国すると議員活動が出来なくなるのではないか」という場合に、それが国会法124条の「正当な理由」に該当するかという問題に帰着するだろうが、くだんの参議院議員が憂慮しているという「不当な逮捕」の評価(戯言として排斥できるのかどうか)や、逮捕を免れて海外に滞在し続けることでどのような実質的な議員活動が期待できるのかを、慎重に審理しなければ結論は出せないだろう。
特別多数決でなければ除名は実現できないと云うが、上記のような慎重な手続を行ったかどうかも含めて少しでも引っかかりを覚える議員が1名でもいれば、除名が許容できるほどの極限的状態とは云えないだろう(1名もいなければ極限的だとみなしてよいというわけでもないが)。
時代錯誤と云われようと、このような制度的保障の問題は、歴史的な知恵の所産であり、一度歪めると取り返しが付かなくなることを肝に銘じて対峙しなければならない。“大政翼賛党”が“特高検察”をして反対派議員を逮捕させ、これを許諾し、除名してしまえるようになれば、もうおしまいだからであり、その呼び水を作ってもやむを得ない程に極限的なのか、慎重さが求められるはずだ。
(弁護士 金岡)