これも近時の実例から。
N月、起訴。被害者のある否認事件3件である。
N+4月、弁護人に加わる。真っ先に考えたのが保釈であり、依頼者属性からは十分に見込める一方で、検察官の猛反対は容易に予想できた。そこで、相当厳しめの保釈条件をこちらから呈示して無事に保釈を実現させたのだが、うち一つが、事件発生地=県内A市の自宅から離れてB市で配偶者と二人暮らしをする、というものであった。
弁護人の算段としては、整理手続を進行させ、且つ、B市で「実績」を積めば、そのうち、そこまでしなくてもという保釈条件緩和が見込めようというところである。
N+8月、弁護人が予定主張を提出し終える。ここら辺から整理手続は迷走しだし、例えば検察官の証言予定開示を巡り紛糾。N+14月にかけて、だらだらと証言予定内容の補充が繰り返され、裁判は殆ど進行しない。
弁護人としては、N+9月から、毎月のように制限住居変更を申し立てて自宅に戻れるよう、試みてきたのであるが、裁判所はこれを容れず、そのため「正月や連休を自宅で過ごすために旅行許可を取る」有様であった(自宅への旅行?意味が分からないと我ながら思う)。
N+4月から同+9月にかけ、5ヶ月も「実績」を積み、予定主張も出せば、まず緩和されるだろうという期待は見事に裏切られた。猛反対する検察官は、「保釈指定条件を遵守されていることを考慮して、保釈指定条件を被告人に有利なものに変更することは出来ない」という不思議な主張を展開していた。
・・B市にいる限り逃亡しないが、A市の自宅に戻ると逃亡する可能性が高まるだろか?と考えると、それはあり得ないだろう。しからば、B市でかれこれ5ヶ月以上も罪証隠滅を行っていないのに、A市の自宅に戻ると罪証隠滅をし出すのだろうか?1時間もあれば行き来できるのに、そんな違いはないだろう。違いは無いなら、より制限的でない自宅に戻すことは比例原則的に義務的であり、憲法上の当然の筈である。このように反論するも、数多の裁判所は「現時点においても不合理ではない、違法ではない」の一点張り(「前回準抗告棄却決定の通り」という手抜き決定まであった)で、具体的に正面から、「A市の自宅に戻すとこれこれの具体的弊害がある」という理由説示を行おうとしない。
N+14月、特別抗告までするも通らず。
N+15月、やはり通らず。
N+16月、ようやく職権発動され、検察官の準抗告もなく確定した。
ようやく本題である。
N+14月に最高裁が「自宅に戻れなくて良い」といってから、N+16月にかけて、何があったか。
・・何もない。整理手続が二期日、重ねられて、裁判所としては検察官の主張を根本から整理し直す必要があるとの問題意識が表明され、構成要件・違法・有責に沿って主張の整理を求める宿題が出されただけであった。
N+16月の職権による変更決定では、(最近、流行の)詳しめの理由が付され、曰く、同審理手続において改めて誓約書を取りつける等したことで「1年が経過した現時点において、A市から場所的に離隔した場所に指定しなければ接触禁止条件の実効性を確保することができないとは認められない」とされた。
考えてみると不思議な決定理由ではある。「10ヶ月が経過した時点ではまだ離隔しておかなければ接触禁止の実効性が保てないが、12ヶ月が経過したら大丈夫」という理屈は成り立つのだろうか?場所的離隔が長期化することとの相対評価で比重が逆転したのだろうか(2ヶ月のことで?)??
なんというか、こんなの最早「裁判官ガチャ」みたいなもんじゃないの?と毒付きたくもなる(上品に言えば、裁判官の独立が保障されているため、それぞれ、よって立つ良心が違うことにより、結果が異なるということのだろうけど・・最高裁を含む心得違いの「良心」のために家に戻れない事態は、本当に正当化されるのだろうか)。N+14月、N+15月と準抗告を棄却した合議体の1名が、N+16月に変更を許可したというのも、皮肉めいている。
自宅に戻るのにこんなに苦労した、という話題である。
(弁護士 金岡)