検察官の主張によれば、驚いたことに、愛知県警は覚醒剤取締法違反事件の捜査に於いて確保した被告人の尿のうち、「鑑定に必要な量のみを押収」し、残りは廃棄している、という。「鑑定に必要な量」は、再鑑定も念頭に置いた「必要な量」ではなく、鑑定1回分という意味のようである。

当該尿は、県警の思惑によれば被告人に不利益な証拠でしかないのかも知れないが、展開次第では被告人の無罪を裏付ける原動力になるかもしれない。捜査段階で、これを決め付けることは出来ないから、県警は、被告人に有利に働くかもしれない証拠を、鑑定1回分を残して濫りに廃棄し(敢えて押収せず)、且つ、鑑定で全量消費することにより、全くゼロにしてしまっていることになる。
これを証拠隠滅行為と言わないわけにはいくまい。被告人に有利に働く可能性があることを認識しながら、これを将来的に実現できなくすると分かって上記のようにゼロにしてしまうのだから、少なくとも未必の故意があることも明らかであり、事実とすれば組織ぐるみの犯罪である。俄に信じがたい。

このことについては、科学的裁判から逆行するものとしても強い批判に値する。

犯罪捜査規範186条は、(再鑑識のための考慮)として、「・・等の鑑識に当たつては、なるべくその全部を用いることなく一部をもつて行い、残部は保存しておく等再鑑識のための考慮を払わなければならない。」としている。

科学的裁判のためには、つまり当該科学的証拠が科学的と評価できるためには、それが不可能な場合はともかくとして、原則、再鑑定の余地が確保されていなければならないことは自明である。司法研修所「科学的証拠とこれを用いた裁判の在り方」51頁以下も、「再検査を意識した資料の一部による鑑定と残部の適切な保管の重要性」として言及されていることである。
(なお、同書は、再鑑定が出来ない場合の証拠能力については、積極的な防御権侵害でなければ証拠能力の次元での証拠禁止には当たらないとするが、このような緩い考え方こそが依然として我が国の捜査水準を野蛮な水準に止まらせる温床であろう)

犯罪捜査規範すらが、なるべく再鑑定の余地を残すように指針を示しているのに、敢えてそれをしない。鑑定後に証拠を廃棄したと批判されないよう、最初から1回分だけ押収する。馬鹿げている。馬鹿げているだけなら救いもあるが、これは犯罪である。
もし、上記検察官の主張が真実なら、愛知県警は、「その尿を調べたら、これこれの言い分が裏付けられたかもしれないのに、それができないばかりに、被告人の主張に白黒を付けがたくなった」ことによる冤罪の危険に対しては、どのように考えているのか、説明して欲しいものだ。

(弁護士 金岡)