帯の推薦文(木谷元裁判官)には「冤罪問題に関する『基本書』と呼ぶにふさわしい」と書かれている。そうであれば読まざるを得ない(基本書なら、それほど時間を要さず読めるだろう)と考え、早速、読んでみた。
なるほど「基本書」である。初歩的という意味ではなく、その分野における必要な事項が一通り網羅され、且つ、体系化が試みられている。一通り網羅する都合上、各項目について掘り下げた論述はないが、脚注文献がしっかりしているので、掘り下げる端緒として活用できる。ある程度、刑事事件を手掛けていなければ、読み込むには労苦を伴うだろう。そういう書籍であった。
逆に、「基本書」であるが故に一般論が多い。魅力的な一般論は数あるが、それをそのまま主張書面に引用しても、一般論として取り合われないだろう。
例えば144頁では「被告人供述が信用できないからといって有罪であると考えるのは、刑事裁判にとって自殺行為とも言われている」という実に魅力的な一文がある。しかし、被告人供述がどうにも信用しがたい事案で、この一般論だけで防戦しようとしても無理筋だろう。本書は、そういう使い方をするものではないように思う。
さて、本書の特徴的なところを少し紹介したい。
第一に、冤罪予防を目指し冤罪メカニズムの解析に力を割いている関係上、心理学をはじめとする科学的知見がふんだんに現れることである。真実は冤罪であるということが捜査関係者に受け容れられない現象は「認知的不協和」や「自我防衛機制という自尊感情」から、一般市民が受け容れないとすればそこには「誤情報持続効果」「公正世界信念」などによって説明し得るなどと説かれている(270頁~271頁)。前述の通り脚注文献が豊富なので、深める必要があるときは脚注文献を丹念に辿る必要はあろう。
第二に、更に個別的な論点に関しても、やはり科学的知見を相当に意識し、筋道立てた説明が意識されていることである。例えば第2章第3「裁判所による誤判のメカニズム」では、「生理的要因」としてイスラエルにおける「裁判官空腹研究」なるものまで援用され(初耳である)、「初頭効果と結論バイアス」のようなお馴染みの議論、更には「心理学上の偏見」「トンネル・ヴィジョン」「圧倒的有罪率による学習効果」などと次々と理論が提示される。全部が全部、当たっているかはともかく、例えば原判決の誤判原因を考察する際に、(空腹による御機嫌斜めかはさておいて)仮説を立てる際に有用かもしれない。
たっぷり400頁の書籍に、裁判官としての著者の経験、弁護士としての著者の経験、渉猟されたのであろう心理学的知見、関係各所の議論の集積が惜しまず披露され、それを冤罪メカニズムの解析に向けて体系化した、意欲的な労作である。ある程度、刑事事件を手掛けていれば、固まり毎には比較的短く纏められているので読み進めるのに苦労はしないだろうから(ところどころに、実際の事件記録の見せ場が登場するので読み物としても工夫はされている)、読んで損はない。
(弁護士 金岡)