少し時機を逸したが、誤認逮捕事例である滋賀いなり寿司事件について思うところを書いておきたい(私が何かしら関わりを持っているわけでは無いので報道による情報を基にしている)。
事実関係としては、
・店員が万引きっぽいところを見た、
・店員が警察に通報した、
・臨場した警官が防犯ビデオで万引きっぽいところを確認、
・鞄の中から、いなり寿司パックが出てきた、
・本人は知人に貰ったものと説明した、
という流れで現行犯逮捕になった。
その後の捜査で、
・知人が判明して知人が交付事実を追認、
・在庫管理から被害品が存在しないと判明、
という流れで約82時間の拘束で釈放となった、というものと把握した。
店員がどのような情報を警察に伝えたのか、在庫確認や知人の登場が時系列的にどのあたりかが分かると、尚更、考える材料になるのだが、現状ではこんなところである。
さて、複数の識者が指摘しているのは、そもそも現行犯逮捕要件が充足しているかということであり、現行犯逮捕という見解、準現行犯逮捕という見解、充足していないという見解が飛び交っている(こういう分野は裁判官の専門分野なので、分かり易く解説してくれる心意気のある裁判官がいると良いのだが、万が一にも品位を害したくないという例の重しがのしかかるだろうか)。
店員が現認して、目を離さないまま、警察が臨場して現認性を引き継いだのなら、準現行犯を持ち出さなくても現認性の方は良いだろうが、その場で防犯ビデオを確認したと言うから、(結果論として万引きバッチリの場面が映っているはずは無い以上)店員の目撃共々、肝心の実行行為を明白に認定できるだけの事実認定は不可能だったはずで、その一点において既に違法逮捕だろうと思われる。
寿司パックが出てきたとしても、それが売り場のものという同一性について、同様の議論が妥当する。結局、現行犯人性を満たさず違法逮捕である。
もう一点、(報道から推測するに)身元の確かな近所の高齢者、というところではないか、と思われるが、そうなると、逮捕の必要性があったのかも疑問である。
警察の主観において間違いなく現行犯なのに否認しているから逮捕の必要性がある、という、どうせいつもお馴染みの論理で、碌に検討(捜査)もしなかったのではないかと勘ぐりたくなる。
ところで、逮捕の適法性の問題はさておいて、個人的に気掛かり、かつ、見た範囲では特に識者から指摘がされていない点を2点、取り上げたい。
まず、約82時間の拘束で釈放となった、ということからすれば、勾留請求がされ、裁判所が勾留していたのではないか、ということである。現行犯逮捕事案だから令状審査機会はここしかなく、本人が盗品では無いと主張している、防犯ビデオもバッチリの場面ではない、という事案で、現行犯逮捕の適法性について裁判所はどのように審理判断したのだろうか、ということが非常に気になる。
結果論からいえば誤認逮捕であり、それを咎めるのは令状審査に期待された役割である。皮肉な言い方になるが、前線に立つ警察官が一定やらかすことは制度が予定しており(良いというわけでは無い)、それを是正するのが令状審査であるが、裁判所は今回、誤認逮捕を追認(勾留決定)したとすれば、そのことについてきちんと反省の場を設けているだろうか?
・・折に触れて指摘していることだが、裁判所は、裁判官の独立の意味を履き違えて、誤判原因を究明しようとしない。誤判原因を究明しようとしなければ、同じ局面で同じように間違うだけである。今日日、小学6年生でも同じ間違いをしないよう学ぶものであるが、何もしていないとすれば、その点では裁判所は小学校にも劣ると言わなければならないだろう。
もう1点。
当番弁護士はどうしていたのか、というのも気になるところである。
こちらは、出動要請がなければしょうがないことであるが、(歴史的事実として誤認逮捕だったわけだから)誤認逮捕とわかっている当の本人は、藁にもすがる思いで当番弁護を要請したのではないか、と。(もしこの事案で当番弁護の出動要請がなかったのなら、宣伝方法に問題があると言うことにならないだろうか)
出動要請があれば、82時間のうちの前半で弁護士が駆けつけ、帰りの足で知人とやらを探しに行けただろうし、悪くしても勾留の必要性のところを掘り起こして勾留に反対する意見書くらい出せただろうに、と思うのだが。
機会があれば、その辺も知りたいところである。
根本的に悪いのは、構成要件該当性において明白性が乏しいのに逮捕に踏み切った警察であるが、制度的に、それは想定されたことである(許容はされていない)。
これを是正する当番弁護士制度や令状審査があって、それが期待されたようには機能していない、とすれば、その原因究明が求められようところであるが、そういう指摘は見ないので、敢えて本欄で取り上げてみた。
(弁護士 金岡)