さて、悪い方の話題の紹介に移る。
事案は、本欄本年4月18日「抽象的な決定理由」で取り上げたものと同じである。
もう少し正確に書いておくと、
共犯者Aが被害者Xとの関係で逮捕勾留(延長)
⇒ 共犯者Aが被害者Yとの関係で逮捕勾留(延長)
⇒ 共犯者Aが被害者Zとの関係で逮捕勾留(延長)
⇒ 間を置いて依頼者BがXとの関係で逮捕勾留(延長)
⇒ 依頼者BがYとの関係で逮捕勾留(延長)
⇒ 依頼者BがZとの関係で逮捕勾留(延長)
という、「一粒で6回/120日おいしい」身体拘束を裁判所が容認している案件である。
かの、「日本対チャペル事件」において「制限時間の潜脱」が手厳しく批判されてもどこ吹く風、被疑者ごとに事件を分断、被害者ごとに事件を分断、やりたい放題である。
本欄本年4月18日「抽象的な決定理由」では、B=Y事件の勾留延長準抗告に具体的な理由の欠片も見られないというお馴染みの現象を報告した。
今回は、B=Z事件の勾留、勾留延長準抗告を取り上げる。
上記の通り、弁護人の問題意識は事件を分断して身体拘束期間を潜脱する権利濫用(及び勾留延長準抗告においては「やむを得ない事由」の存否)にある。申立理由もそのように構成されている。
では裁判所の判断はどうか。
(勾留準抗告審の判断理由)
被疑者は住居不定であるほか、組織的常習性の強くうかがわれる事案の性質内容、被疑者の供述状況、捜査の進捗状況に加え、被疑者が逃亡していたことやその身上等によれば、被疑者が罪証を隠滅し、逃亡すると疑うに足りる相当な理由があり、勾留の必要性も認められるから、原裁判に何ら誤りは無い。(名古屋地裁刑事第4部、久禮博一、藤根桃世、関和寛史)
・・あれ?権利濫用の話はどこへ?
勾留しておく事情があっても権利濫用はダメでしょ?
裁判所は弁明せず、というのは「裁判書が全て」ということだが、「裁判書でも弁明しない」裁判所ではどうしようもない。
(勾留延長準抗告審の判断理由)
組織的常習性の強くうかがわれる事案の性質内容、黙秘する被疑者の供述状況や捜査の進捗状況に加え、その身上によれば、被疑者に対する処分を決するには、勾留を継続した上で相当日数を要する原裁判掲記の捜査を遂げる必要があることは明らか。(名古屋地裁刑事第4部、久禮博一、藤根桃世、関和寛史)
・・あれ?権利濫用の話はどこへ?
あと、原則的10日間(及び多重に展開された先行捜査)で「組織的常習性」とやらは十分に捜査され尽くしたと思うんだけど例外を許容すべき理由は??
もう全く、議論すらしてくれないという惨状である。「こんな悪い奴、捕まえておくよね」それしか言えないなら、裁判官要らないよな、と思う。
因みに、「相当日数を要する原裁判掲記の捜査」には、かれこれ50日、包括的に黙秘している被疑者の取調べも挙示されている。包括的黙秘を解除する見込みのない被疑者の取調べを「相当日数」やらなければ適切な終局処分が決定できないなら、永遠に適切な終局処分は決定できないはずで、それならとっとと釈放しなよ・・とまあ、突っ込み処満載である。
(総評)
とある法科大学院で長らく教鞭を執られている研究者が、「優秀な学生は裁判官になろうとしなくなっているのではないか」「裁判理由はコピペ満載」「裁判官が劣化している」との観測を示されていたが、上記惨状を見れば、あたっていると言わなければならないだろう。
少しでも自分の頭で考える能力があれば、被疑者ごと、被害者ごとの事件分断の権利濫用性について検討しようと思うはずだし、間違っても包括的に黙秘している被疑者取調べを延長理由に挙げようとは思わないだろうし、百歩どころか4万キロほど譲っても、弁護人の問題意識に対し説得的な説明をしようと試みるだろう。
何より、強度の人権制約を受ける被疑者に対し、「この勾留は憲法に照らして正当なものである」と伝えなければならないはずだ。この数十文字が、それに応えるものだろうか。能力が無いのか、気力が無いのか、その両方なのかは知らないが、このような身体拘束裁判が異常なまでに空疎な、ゴミ屑同然のものであることは、誰の目にも(除く、一定数の刑事裁判官)明らかだと思う。
勿論,弁護人は、不断の努力により、現状を変えようと努める必要がある。本件についても特別抗告を申し立てている。
最後にその一節を転記しておこう。
「付言するに、原決定と同一の裁判官3名は、本件の当初勾留決定に対する準抗告申立事件においても、全く理由を付さない決定を行っている。この3名に関しては、まともに裁判をする能力が無く、塵芥を量産しているという評価しか出来ない。」
私生活の行状で罷免どうこう言う前に、まともな裁判をする能力気力のない裁判官をどうにかして欲しいものである。勿論、憲法論として、裁判内容への干渉は裁判官の独立を害するから不可能である。憲法に守られ、国賠でも一般公務員より守られ、せっせと塵芥を量産する。随分と楽な商売である。
(弁護士 金岡)