前回「裁判書でも弁明せず」に倣って副題を付けるなら「極上のヒラメ」とでも題するのが良いだろう。悪い方の報告その2である。

事案は、平たく言うとA罪で保釈中、再犯によりB罪で逮捕起訴されたことに対する保釈請求が、抗告審で逆転却下された顛末と、その後の事態の推移である。言いたいことは沢山あるのだが、ここでは抗告審の判断理由、その後の受訴裁判所のヒラメ的対応に焦点を当てて報告する。

1月 受訴裁判所(単独)保釈却下
2月 同
3月 受訴裁判所(単独)保釈許可 ⇒ 抗告審で逆転却下(特別抗告棄却)
5月 受訴裁判所(裁定合議)保釈却下
以上のような経過を辿った。

(抗告審の判断理由)
ア 各原決定によれば、原裁判所は、次のような理由で、裁量により被告人の保釈を何れも許可したものである。(略)
イ (・・)その上で、各原決定は・・裁量保釈が相当である旨いういが、原裁判所は、同期日後である1月及び2月に各保釈却下決定をしているところ、それらの時点から各原決定時までにも、本件各事実に関する公判審理の進捗状況に変わりはなく、A罪の審理に関しても有意な進展があったとは見られず、結局、上記各保釈却下決定決定時から特段の事情変更があったとは認められないのに、裁量で保釈を許可するのが相当とした各原決定の判断は不合理であって裁量を逸脱したものというほかない。(名古屋高裁刑事第1部、杉山慎治裁判長、細野高広裁判官、谷口吉伸裁判官)

(検討)
このように、抗告審決定は、直接、3月時点の裁量保釈の適当性に切り込むのではなく、1月2月と裁量保釈が不適当であると判断した従前の却下決定時点から事情変更がないのに裁量保釈の判断を変更したことは違法だという、事情変更一本で抗告を認容した。
1月から起算すれば40日が経過し、更に身体拘束が長引いていることを事情変更と思うことの出来ない、傲慢な人間がいることに哀れみすら覚えるが(とても残念なことだが、全く驚きはない)、特別抗告も棄却され、親玉ぐるみでそうなのだから裁判所の体質としか言い様がなかろう。
ここまででも十分、悪い報告だったのだが。

(受訴裁判所は極上のヒラメ)
3月に保釈が逆転却下され、基本事件は審理から約1年を経て裁定合議となり、受訴裁判所は合議体に変更された。
5月の打合せ期日の機会を捉えて保釈請求に及んだ。
前回から更に40日ばかりが経過しており、事情変更としては十分でしょ、3月の時点で裁量保釈が適当という判断をしているのだから、というのが請求理由である。

これに対し受訴裁判所は、一転して裁量保釈を却下した。
そして、弁護人抗告に対する原裁判所意見として、わざわざ非定型の決定理由を起案して抗告審に提出している。
曰く、「・・(これこれの理由により)裁量保釈は相当ではない。」「なお、抗告審により取り消された3月の当裁判所の保釈許可決定が原裁判時の当裁判所の判断を拘束するものとはいえない」(名古屋地方刑事第6部、蛯原意裁判長、村瀬恵裁判官、塚本貴大裁判官)(なお、4月までの単独事件は村瀬裁判官に係属)

3月の時点で裁量保釈が適当だという判断をしていた以上、5月においても同様の判断を維持すべきであろう。同じ証拠関係に基づく限り、同じ判断でなければおかしい。勿論、上級審が当該判断を否定する判示をしたのであれば、それを参酌して上級審の判断に服する判断変更はあり得ようが、本件では詳しく解説したとおり、3月の抗告審は直接裁量保釈の適当性には言及していないから、受訴裁判所としては、特に駄目出しされていない3月の許可決定と同じ判断をすることが出来たし、そうしないなら、同じ証拠関係に基づくにも関わらず裁量保釈の適当性について判断を覆した理由を説明しなければ、裁判の信頼性に疑義が生じよう(同じ証拠関係なのに兵器で正反対の結論を導き、要するに御都合主義的な操作により裁判を弄んでいる)ところである。
しかるに受訴裁判所は、上級審から何も言われないうちから、自主的に裁量保釈の適当性について判断を変更して、抗告審の前回判断に沿う結論を導き、剰え、3月の許可決定には拘束されないのだから問題ないという非定型の弁明まで、提出した。
抗告審裁判所の傾向性は明らかであるから、判断を取り消される憂き目に遭わないよう、上級審の意に沿う決定を行い、あわせて抗告棄却に備えて材料まで提供する。その目線は憲法や被告人には向いておらず、ひたすら上級審に向いているのだなと実感する。
故に、極上のヒラメ、という評価になる。

(感想)
前回報告(2/3)の、裁判書でも弁明しない連中も大概だが、こちらもこちらで、俗悪な代物である。同じ証拠関係に基づき裁量保釈が適当だと判断した前回決定について、上でとやかく言われたわけではないけれども、率先して判断を変更する、などという矜持のないことをやっていて、恥ずかしくないのだろうか。せめて、前回と判断を違える具体的理由について説明しなければ裁判の正当性に関わり、恥ずかしい、という気持ちにはならないのだろうか。
少しでもその目線が憲法や被告人に向いていれば、こうはならない筈である。
普通の神経では、こんな裁判結果を連発されれば絶望するに十分であり、刑事事件にやりがいを見出せなくなること請け合いだと思う。

(弁護士 金岡)