まだ「獄中日記」の方は未読である。
そして、「塀の中に落ちた~」みたいな副題を付けられると何となく読む気が削がれるのも事実であるが、ウェブの紹介記事を読んでやや考えが変わったので、取り敢えず、紹介記事の方を紹介しておこう。

記事は「47NEWS」の、「史上初、入獄した元法務大臣の河井克行氏が見た刑務所の世界」というもので、「共同通信=武田惇志」の署名がある。
元法務大臣が問題意識を持った刑務所の実情として幾つかの話題が掲載されているが、琴線に触れたのは、そこが社会復帰に資する場になっていないのではないかという問題提起である。
厳格な手紙の発信制限について、「これでどうやって社会とのつながりを回復しろと言うのだろう。そんな状態で何年も社会から隔絶されて、更生しろって言われても厳しい。」という疑問が投げかけられ、蔵書についても「本を借りることも、買うこともできない。友達や家族からの差し入れもない。それで、出所後のことを考えろって言われても、外の情報が皆無・・」と指弾され、ついでに「入所時に一度、職員との面談があっただけ。その後、心情を聞き取られることなんて全くありませんでした。」という。総じて、厳罰化に拍車がかかっており、「更生に資する」施策に乏しいようだ。

服役経験を持つ依頼者から聞く範囲ではあるが正に同感であり、勿論、立派に社会復帰する人もいるには違いないが、寧ろ社会からの疎外が深まり、悪しき人間関係を新たに形成して刑期を終える類もある。
「だから職員の人的体制を充実させ、無意味な規律を緩和し、蔵書等の福祉設備を充実させろ」というと、必ず「一般社会でもそこまで出来ないのに、刑務所如きを・・」という批判が聞こえてくる。しかし、誤解を恐れずいえば、服役するところまで事態が悪化している方により支援の必要性を見出すことは難しくないはずである。責任を論じても始まらず、社会復帰支援がより必要なら、そうするのが道理だろう。事態が悪化しているから服役を余儀なくされるのに、服役させるだけ服役させて、社会から疎外し、寧ろ立ち直りづらくして社会に放り出し、再犯に及べば自己責任、という発想は貧困だろう。

ということで、この紹介記事を見る限りでは読む価値があるのかもしれない。
それにしても、獄窓記と言い、服役して現実を知り、蒙を啓かれる人が一定数いることは興味深い。果たして放り込む側の裁判官は、どれほど現実を知って、その量刑をしているのだろうか?と疑問を持たざるを得ないのだ。
我々、弁護士はまだ、依頼者から直接経験を聞く機会がある。裁判官はどうだろうか。お仕着せの刑務所見学経験があればましな方で、生々しい不満はついぞ、聞く機会すらないのではなかろうか。「愛知刑事弁護塾」ではかつて、逮捕勾留経験のある弁護士をお招きして実体験を伺う企画をしたが、例えば弁護士会がなにかしらの伝手で服役経験のある人をお招きして話を伺う企画をし、そこに刑事裁判官にも参加してもらうような試みは、有意義かもしれない。

(弁護士 金岡)