前稿では、検察官が保釈に反対して、(主観的に若しくは客観的に)ありそうもない公判見通しを述べる「するする詐欺」について具体的事例を挙げて説明した。経験ある弁護士なら誰しも一度や二度は直面する現象であろうから、今回は事例を離れて幾つか考えたところを述べてみたい。
【1】保釈審理における余罪考慮
保釈審理における余罪考慮自体は古くから論じられており、令状基本問題93番でも、ほぼ正面から取り上げられている。その結論は、罪数論も絡めてやや分かりづらいが、「包括一罪の一部をなす事実であっても、厳に裁判所の審判の対象となっていない事実については・・・審判の対象となるかが不確定なものである以上、保釈許否の判断に当たり勾留の基礎となっている事実と同様に考慮することは許されないと考えるべき」というものである。
「公訴事実と同様に考慮することは許されない」として、どの程度に考慮することは許されるのかが、別途、問われることになるのだろうが、それはさておき、ここでは「審判の対象となるかが不確定なものである以上」という理由付けに引っかかってみたい。
即ち、今回の名古屋地決は、「審判の対象とはなるまい」と判断して検察官の主張を排斥している。起訴できていないことを捉えている以上、立証のあてが無いと判断されたことは明らかである。
思うに、「審判の対象となるかが不確定」な余罪を細分化すると、
(1)証拠が足りず、審判の対象とならないだろうもの、
(2)証拠が足りているとしても余罪の実質処罰として審判対象にできないもの、
(3)実質処罰に至らない余罪として立証予定のもの、
に区別できるのではないか。これらをごちゃ混ぜにすると議論が混迷する。
(1)(2)の場合は、正しく審判の対象になることが間違いないとまで疎明されていない場合であり、そういう場合は、「同様に考慮することは許されない」(一定程度は考慮が許される)のではなく、一切、考慮が許されない帰結で無ければならない。
前記93番は、ここを混同させて論じているため要注意である。
なお、(3)の場合は、実質処罰に至らない程度の余罪(例えば窃盗罪2件が起訴されて、本人の自白で他にも数件あると窺い知れるような場合)であるから、裁判所お得意の「重要な情状事実」とまでは言えず、多少、量刑を押し上げる程度に過ぎないと考えれば、そのためだけに保釈を不許ならしめるような事態はそうそうないだろう。正に枝葉だけで身体拘束を続けようという場合に当たるからだ。
ともあれ、本稿の主題は、公訴事実外の事実関係を考慮できるかにおいて、「同様に考慮することは許されない」止まり(一定程度は考慮が許される)ではなく、一切、考慮が許されない領域があることに意識的に向き合うべきこと、そして、「するする詐欺」は格好の素材を与えてくれていることである。
(3/3・完に続く)
(弁護士 金岡)