これは本欄2024年12月10日「裁判所は相変わらずダメだという話」の後日談である。「相変わらずダメ」を遥か超えてきた、想像に余る、稚拙な「原裁判所の意見」が提出されたので、もうこれは紹介しておくしかないなというところである。
改めて要約すると、保釈取消決定が送達されたので検察官の疎明資料を謄写請求すると、もう検察に返したから謄写できませんという対応をされ、再度の取り寄せを要求するも拒否された、という展開である。
抗告し、抗告理由の中に上記経過も手続違反として取り込んだ論を展開し、その上で原裁判所の意見の謄写をした、というのが今回の話題である。
原裁判所が、結果として疎明資料を謄写させないまま抗告審に移行したことについて、どのように弁明するかは、割と関心があった。此方が知らないだけで、そのような取扱を是認する戦後間もない時期の判例があったりするのかもしれないと。
さて、原裁判所の意見は以下の通りであった。
「なお、疎明資料について、本件では保釈取消請求書には添付されておらず、記録の一部とみることはできないから、弁護人の閲覧謄写の対象にはならない」(2024年12月13日付け、西前征志、湯川亮、髙島菜緒の各裁判官からなる合議体)
は?という意見であり、驚いたというか呆れたというか、馬鹿馬鹿しいというか、それ以下のゴミというか、まあそれ以上の言葉が見つからない。
現に裁判所が保管し、事実調べの対象とし、保釈取消判断の基礎となった疎明資料が「記録の一部とみることはできない」・・これだけでも驚愕するが、その理由付けが「保釈取消請求書に添付されていないから」となると、最早、理解を超える。検察官が別便で出すかどうかだけで手続保障の在り方が変わる?仮に係属中に謄写請求しても、別便提出なら「記録ではない」と言い張るのか??
記録の一部ですらないものに基づき保釈取り消したんですか、そうですか、それって裁判といえるんですか・・もう少し日本語でお願いできますか、という次元である。これほど馬鹿げた意見もそうそう、お目にかかれるものではない。
何故、素直にごめんなさいと言えないのだろうか。裁判官教育の基本から見直した方が良いのではないか。この感覚で裁判をやることを恥だと思わない連中に、まともな裁判などできるはずもないだろうし、どんなに有り難い説諭も「お前が言うな」になるだろう。
なお、疎明資料(身元引受人の供述録取書等、捜査報告書、防犯カメラ解析等々)は、抗告審(名古屋高裁刑事第2部)が(当然ながら)謄写を認め、現在、私の手元にある。記録の一部でなかったとすれば、これは一体なんなのだろうか。
(弁護士 金岡)