【会長の背信】
長らく述べてきたとおり、紆余曲折を経て、処置不相当+裁判所への勧告意見を結論とする刑事弁護委員会の意見が総意となり、これが舟橋直昭委員長に一任された修文を経て、池田桂子会長に提出された。
刑事弁護委員会の認識からすれば、刑事弁護委員会が諮問機関として調査及び意見を担う以上、それが尊重されることは当然というものであっただろう。
ところが、池田桂子会長は、刑事弁護委員会の意見のうち、裁判所への勧告意見部分を採用せず、勧告を行わないこととした。
内幕として言えば、これは、愛知県弁護士会の理事者会(つまり会長と副会長の定例会議)で諮られて結論が得られた(のだろう)が、逆に言えば、総会や臨時総会にかけられるという扱いはされず、それどころか常議員会にも、事後報告されただけで終わった。
ちなみに、刑事弁護委員会の意見が完成し、池田桂子会長に報告されたのが8月4日であり、これは金曜日である。池田桂子会長の最終「処分」は、8月8日、火曜日である。ろくすっぽ検討もせずに刑事弁護委員会の意見を覆す重大事態が発生したのだから、結論ありき、刑弁軽視も甚だしいと言わなければならない。
【池田桂子会長の説明】
さて、なぜ会長がこのように刑事弁護委員会の意見に反したか。
後に報告された常議員会では、次のように説明されている。
① 刑事弁護任委員会が当会に提出した報告書には、勧告意見を付すべきことについて、結論のみが記載されており、そのような意見をすべき理由について記載がない。
② 刑事弁護委員会が報告すべき対象範囲は、調査の結果、及び措置についての意見であり、裁判所の訴訟指揮に関する意見は対象には含まれていないので、理事者独自で判断することである。
③ 刑事弁護委員会の報告書記載の弁護人の反対尋問権を尊重し、必要に応じた柔軟な審理計画の見直しに応じられたいとの意見は、一般的な意見にすぎず、既に反対尋問が実施されていることを踏まえると、これを裁判所に伝える必要性は高くない。
④ 刑事弁護委員会が、処置について謙抑的にとして処置しないことを結論した以上、対象弁護士に謙抑的であるなら、裁判所の訴訟指揮に関し意見をもつことについても同じく謙抑的べきであること。
なお、担当副会長がこれに先立ち刑事弁護委員会に説明した、付さない理由については、上記に加え、⑤として、盛岡地裁の係属裁判所が当該事件において弁護活動に報復的なことをする可能性が指摘されていたが、常議員会ではこのことへの言及はなかった模様である。
【反論】
以上について、逐一、反論してみよう。といっても、一読して、弁護士会の在野性、刑事弁護の独立性を重んじる弁護士からすれば、「なんだ、このゴミ屑は」という次元の理由説明ではあろうから、贅言は要するまい。
まず①について。
有罪を主張した舟橋直昭委員長が、意に反して処置不相当、しかも自ら反対した勧告意見まで付さなければならないとなり、その理由付けを説得的、意欲的に行い得たとは到底、思えない。なので、意見書が出来が悪いのは、刑事弁護委員会が最後まで議事を尽くさず、半ば時間切れに投げ出したツケである。その代償は、刑事弁護委員会の専門的意見を否定する揚げ足取りに使われるという、実に大なるものがあった。
のだが、それはそれとして、池田桂子会長は、もし勧告意見を付すべきと刑事弁護委員会が考えた理由が良く分からないというなら、刑事弁護委員会に意見理由を補充させれば良かっただけである。つまりこれは、子どもでもしない言い訳の類いである。
更に言えば、8月8日の最終「処分」に先立つ、理事者会には、全会議に立ち会った担当副会長も出席されていたはずであるから、同副会長は余すところなく刑事弁護委員会の議論状況を説明できたはずである。まさか副会長が「さあ、なんででしょうね?」等と空とぼけたとは思えない。とすれば、池田桂子会長の上記理由付けは「嘘」であろう。
次に②について。
制度の理解に関わると言えばそれまでだが、仮に形式論としてこのように言えたとしても、いやしくも調査及び意見形成を託された刑事弁護委員会が勧告意見が必要と唱えた以上、相応に尊重すべきことは動かないだろう。一顧だにしない、あるいは具体的反駁もせず覆すことは、異常である。
更に③について。
反対尋問が実施された以上は、勧告意見を付すべき対象である訴訟指揮は既に解決しており、従って、勧告意見を付すべき意味がないという、訴えの利益的発想であろうか。もし、結局、反対尋問が十分に実施できないままであったなら、「今から反対尋問をさせろ」と踏み込んで意見を言ってくれたのだろうか(裁判所にも謙抑的な池田桂子会長に限って、そういうことは全く期待できないと思われる)。
そもそも、なんのための勧告意見なのか?当該事件の個別救済のためなのか。そうではなく、刑事司法全体に亘るものなのか。いやしくも弁護士会という在野の自治組織に、処置事件という滅多とない事態に対し、個別救済以上の発言が予定されていないなどと正気で考えているのだろうか。勿論、弁護士会は、刑事司法全体に亘る問題として、このような個別の事件を通し、反対尋問権というものの重みを考え直すよう、裁判所に迫る役割が期待されていよう(大阪の腰縄手錠事件は、無論、その段階では当該被告人の当該審級は終わってしまっており、腰縄手錠なしの出廷を訴える利益は失われていたはずだが、だから何も言わない、ということの不合理さは言うまでもないだろう)。そのための勧告意見制度のはずである。このようにみれば、上記③は、ことを個別事案に矮小化し、弁護士会の役割を放棄したものであり、後記④に通じるものがある。
最後に④について。
「裁判所の訴訟指揮に関し意見をもつことについても同じく謙抑的べきである」
目を疑う。耳を疑う。それだけでもう良い。
おまけで⑤について。
弁護士会が今回の辞任対応を正当化し、却って裁判所の訴訟指揮を非難すると、裁判所が当該事件において更に嫌がらせをしてくるかもしれない、という御説明である。④のように裁判所に謙抑的である池田桂子会長が、その一方で、裁判所が訴訟指揮を通じて嫌がらせをするかもしれないと、裁判所への不信を前面に表明する。余り整合しない思考回路である(だからこそ常議員会では⑤の説明が消え失せたのだろうか)。
強いて言えば、⑤のように裁判所への不信感を表明できるなら、④のように謙抑的であるのはおかしいことを、今後の執務と弁護士人生に活かして頂きたいものだ。
【常議員会】
まず、④に対し、懐疑的な意見が複数、出されたようだ。
例えば、刑事弁護の個々的な独立性の見地から弁護士に謙抑的に振る舞うことと、過料に処せられながらも被告人の権利のために活動する弁護士を攻撃する裁判所に対し謙抑的に振る舞うこととが、権衡を取ったものと言えるのかという意見など。
また、①についての指摘もあった。
曰く、要旨、「一方では弁護人が粘り強い弁護をしなかったのではないかという意見もあったと刑事弁護委員会の意見書で紹介されており、他方ですぐ後を見ると裁判所の訴訟指揮に問題があったと記載されている。・・何かこれ矛盾があると。何かきちっと議論されるべきことがされてないんじゃないかという感じがしてしょうがない。」と。実に鋭い御意見である。刑事弁護委員会の、議事を意見書に反映させる努力を放棄してしまった部分が端的にえぐり出されている。
なお、そもそもこういう問題は、会長の最終「処分」を執行する前に常議員会への協議事項とすべきではないかとの指摘もあった。確かに、このようなお粗末な理由で刑事弁護委員会の意見が覆される独裁状態は好ましくなく、一理あるだろう。
(弁護士 金岡)