今更ながらに原田元裁判官の「裁判の非常と人情」を読んだ(話題書というものはどうしても敬遠しがちになる悪い癖がある)。言うほど「非常」の部分は無く、他方で実直な金言に幾つも出会えたことは収穫であった。
本欄表題は、その48頁から引用した。
「刑事裁判官は、微妙であると何かと悩んで検察寄りの判断にコミットする傾向がある」という見方について、直ちに賛同は出来ないが、そういう見方は確かにある、の後、上記のように書かれ、更に「刑事裁判官も、一般国民である裁判員を前に、露骨な有罪志向はとれなくなったであろう」とまで述べられている。
刑事裁判官の内部で有罪志向が観察できることを認めたようなものだろう。
ついでに披露すると、先日の法廷(勿論無罪主張の事件)では、裁判官が検察官の主尋問が終わった時点で「検察官、この点は聞かなくてよいのか?」と介入を繰り返す場面に遭遇した。事前に証言内容を予測している側として、その点は「(聞きたいだろうけども)聞けない」ということは分かっていたので、苦笑いして黙りを決め込んだが、隣に座る被告人は「ふざけるな」という顔をしていた(と言うか、そう言っていた)。無論、「その点」を聞かないと、間接事実相互をつなぐ材料が足りないのだが、検察が「つなぎません」と述べているのに「つながなくていいのか」と介入することは、足らざる証拠を何とか有罪方向に足し込もうとする卑しい姿勢である。
刑事弁護人として言えば、頷けることこそあれ、新しく発見があるようなものまでではないが、とにかく実直な金言がある。刑事裁判官必読の書と言えるだろう。
(弁護士 金岡)