かつて渦中の当事者として憤懣やるかたなく連載した「愛知県弁護士会の凋落」について、刑弁委を辞めて少ししてからは特に関係する情報を得ようという気も失せ、関心を持たなくなっていたところではあったが、ひょんなことから、処置案件処理規程の改訂状況等々の情報に接することになった。
行きがかり上、思うところを更に書き連ねておく。
【刑弁委の解体的出直しは成ったか】
かつての連載を終えるにあたり、「古巣がどこまで解体的な出直しをはかれるものなのか」と書いておいた。さて結局、あの局面で反対尋問権を守るためには何が最善手だったのか?について、未だに自分で出した結論に勝る結論を見つけられないのでいるのだが、刑弁委はどこまで検討を深めたのだろうか。
現・委員長にうかがったところでは、要旨「あるべき結論を改めて議論し直すということは,一度委員会でした議論を蒸し返すことにもなるので、やらないことになった」「同じような事態が生じた場合,刑弁委員会が,今後,どのような判断,結論をすることになるのか。これは,正直よく分かりません。」ということだった。
 (一度たりと、あるべき結論を示していないのに、蒸し返しも何もないものだとは思うが、それはさておき、)刑事弁護委員会ともあろうものが、「あるべき結論」を検討もせず、仮に同様の事態が生じた場合にどういう判断を示すことになるのかの規範も示せないという。それはもう御愁傷様としか言いようのない事態だ。
一朝、冤罪が起きれば、弁護士会は他庁に「検証せよ」と迫る。その弁護士会の刑事弁護委員会が、自らの失態についての議論を拒む。その卑しい姿勢からすると、その存在が益々軽んじられるのは仕方ないなぁと思う。
翻ってみれば、刑事弁護委員会の業務は、「刑事弁護の強化及び拡充を図るため、刑事手続・・に関し、その運用改善について調査、研究、提言」することにあるという。反対尋問権を守れるかという局面での調査、研究を拒んでいるようでは、もはや、ない方がましな部類かも知れない。
【理事者は反省したか】
処置案件処理規程の改訂状況についての然るべき部署の議事を拝謁するに、刑事弁護委員会の「盛岡地裁裁判官の訴訟指揮に意見を付すべきだ」という意見を採用しなかった当時の会長様は、要旨、刑弁委の結論に向けられた理由が判然としないことは良くなかったと御発言のようだ。
まるで他人事と思う。どうして刑弁委がそういう結論を出したかが判然としないなら、判然とさせれば良かっただけでは無いのか。「審理不尽は私のせいではありませんよ、不十分な意見だったから誤判しただけですよ」と言われて、誰が納得するのだろうか(再審無罪が確定しても冤罪を詫びようとも検証しようともしない最高裁を思わせる)。
 それどころか、執行部は依然として、対象者(つまり本件の場合は私ほか1名)の口封じに御執心な様に見受けられる。

当時の会長様曰く、処置請求案件は限られた人数で検討し、そこでの議論が委員会で蒸し返されることのないようにすべきだとのことで、本音では、本件の委員会での議論は宜しくない蒸し返しではないかとお考えのように見受ける。
専横下の調査部会の結論に危機感を感じた委員の有志が私に情報提供し、そこから叡智を集めて誤りを糺していった一連の経過が「蒸し返し」とは良く言ったものだ。よほど、刑弁委が御自身の意に沿わない結論を出したことが御不満なのかなぁと思えてしまう。よくぞ誤判に陥らないように反論してくれて有り難う、と、御礼を言って貰いたい位なのに。

 また、そもそも処置請求の対象者が情報発信することにも懐疑的のようだ
次期会長と目される方(処置すべきとの結論に至った部会の構成員でもおられる方)が、要するに、「処置請求の対象者が、非公開の議事情報を入手し、それに対してとやかく情報発信することはいかがなものか」という趣旨の発言をされ、当時の会長様が、そういう方向の「配慮」についても議論が必要と同調されている。

ぱっと連想したのが、「ドイツのワイマール憲法もいつの間にかナチス憲法に変わっていた。誰も気が付かなかった。あの手口に学んだらどうか。」という麻生大臣の有名な発言である。150年前の「万機公論に決すべし」よりも、よっぽど劣化している。
言論統制されて飼い慣らされるとすれば、そのような弁護士が、なんの役に立つのだろうか。

(弁護士 金岡)