高橋徹裁判長率いる合議体の「即日判決」については、本欄2018年3月29日で取り上げたことがある。

刑事控訴審における即日判決


ちなみに、前任地での批判記事もまだウェブ上で見られる。
https://www.nikkei.com/article/DGXLASDG25H4J_V20C17A2000000/

その後も猛威は止まるところを知らない。

まず判断結果について見ると、2017年9月の着任後、知る限りに於いて検察官控訴事案の判決実績はまだ無いが、他方で、被告人側控訴の事案では量刑不当の2項破棄を除く破棄判決はないと思われる(私の担当事件でも、2項破棄(やはり即日判決)の経験しかない)。
勿論、「全部有罪だから怪しからん」という批判は必ずしも容易ではない。2年を通して、たまたま無罪になるべき案件がゼロだったということも、純理論的には考え得るからである(他方で統計に考えてみると首を傾げざるを得ないが)。
本「傍聴記」も、即日判決批判同様、その手続の在り方に向けたものである。

さて、つい先日、著名な弁護人が控訴審第1回公判に臨まれると聞き知り傍聴した。知名度実績共に我が国の第一人者である。
被告人は捜査段階から一貫してから無罪を主張していた事案である。

手続冒頭。
弁護人が控訴趣意書の内容を陳述しようとすると「そのような運用はしていない」として陳述を制限。弁護人は異議を申し立てたが、検察官は「理由無し」意見を述べ、異議は棄却された。
いつから我々は、控訴趣意について、聞かれたこと以外は発言できなくなったのだろうか。高橋裁判長は、控訴趣意について質問してくることがある(用意された即日判決に無理矢理整合させようとしていると疑われる場合もある)から、その場合は陳述が許され、それ以外は陳述を許されないとなると、最早、丁稚扱いだ。
検察官も検察官である。検察官も当事者として、時に裁判所と対立し、控訴趣意について譲れない陳述をしたい場合もあるだろう。等しく訴訟当事者である弁護人の陳述権を「無し」とする裁判所の訴訟指揮に対しては、訴訟当事者として共闘して批判すべきでは無いのだろうか(それとも、検察官の要望は通して貰えるという、癒着という名の信頼関係が成立しているのだろうか)。置物の如く、「控訴には理由が無く」「異議には理由が無く」「証拠には必要性が無く」と言っていれば良い結果が降ってくる、という環境に甘んじることは、公益の代表者性に背くし、また自縄自縛では無いだろうか。

続いて事実取調べ請求の場面。
証拠の必要性、やむを得ない事由について提出済みの書面を敷衍し始めると、ものの数分で「同じ事の繰り返しだから陳述を制限します」と(公平のために言うと、聞いている限り、どこにも同じ事の繰り返しは無く、ただ単に、予定時間内に判決を言い渡すための時間を逆算しているようにしか思われなかった)。
弁護人の異議について検察官は例の如く「理由無し」意見を述べ、異議は棄却された。

更に即日判決の局面。
弁護人は、違法な訴訟手続に基づく判決手続は違法だと即日判決にも反対したが、当然の如く取り合われず、控訴棄却となった。
正に、何もさせて貰えなかった、というべきだろう。

実は、この一週間前、私も同じ目に遭っている。
未確定であるため詳述は避けるが、原判決後、有罪判決の核心となる証人の証言に明らかな偽証を発見し、控訴審第1回公判の前日まで、その証明のため、よりよい証拠化に努める努力を重ねたものであったが、控訴審裁判所は、そのような証拠の取り調べを拒み、即日棄却判決を強行した。「よりよい証拠」を即日判決前日に事実上、見た段階では、既に判決は書き上がっていたのだろうから、そのように棄却判決を用意した心証の上に必要性が否定されることは必定である。
このようにみると、第1回公判前に判決を書き上げる姿勢が到底、公正な裁判所の名に値しないことは自明であり、その趣旨の忌避を申し立てたが、あっさり簡易却下された。

「絶望の裁判所」という本があるが、現実は、絶望度合いに於いて更に深刻である。
個々の弁護人の姿勢だけでどうにかなる問題とは思えない。

(弁護士 金岡)