良くあることだが、証拠カード記載の立証趣旨の「・・等」。
それを巡って揉めた経験は、誰しも一度や二度はあるだろう。
証人Vの立証趣旨「被害状況、処罰感情等」
証人V夫の立証趣旨「Vから被害申告を受けた状況等」
こういう風に並べて書けば、「処罰感情等」と「等」の書き分けからして、V夫の処罰感情は立証趣旨に入ってこないのだろうと理解するのは、当然だと思う。手続とはそうした一義的に明確な基準で運用されなければならず、もしこの場合に、V夫の処罰感情も立証したいというなら、書き漏らしを認めて、その場で追加請求するなりすれば良いだけなのだ。
ところが、このほどの法廷で、V夫が「Vから被害申告を受けた状況」を遠く離れ、ごく最近の加害者側からの賠償申入れにまで話が及んだので、流石に異議を出したところ、検察官は「等」に含まれると強弁。合議体(田邊三保子裁判長)も「関連事項だ」として異議を棄却。
別に、最近の加害者側からの賠償申入れに話が及んだところで痛痒はないが、そういう場合ばかりではないし(思いもしない要素が「等」に含まれた結果、証拠開示の機会が失われると言うこともあろう)、おかしいものはおかしいだろうと異議を出したことについて、被害申告意思の真摯さを補強すべき「被害申告を受けた状況」と「最近の賠償申入れ」が関連するから異議を棄却するなどという乱暴ぶりには、開いた口がふさがらない。
繰り返しになるが、証拠カードの記載は、手続保障の一環なのだ。一事が万事というが、ここまで弛緩しきった、だらしない訴訟指揮をされると、手続を守る気などさらさらなく、ただ単に、その日の審理予定をこなすことに汲々としている小役人風情が良く見え透く(田邊三保子裁判長といえば、本欄本年8月6日で取り上げたように、その日の審理事項をこなすために検察官が直前に大幅に証言予定を追加しても反対尋問を強行させようとした「前科」があるから、残念だけれども手続面については、こういう傾向があると推認できようものだ)。
異議では「何を信用して手続を進めれば良いのか分からなくなる」と述べたが、通用しなかった。「等」が融通無碍に使われるなら、適正手続を守らせる側としては「等」の中身を全て具体化させ、「等」という言葉を使わせないようにするしかなかろう。
今後、田邊コートでは、あらゆる証拠カードの「等」に釈明を求めるでもするしかなさそうだ。手続がだらしない裁判所には、大いに迷惑を被る。
(弁護士 金岡)