「無罪の証明要求」で世界中に恥をさらした森法務大臣であるが、本年1月15日付けで法務省のウェブサイトに、「ウォールストリートジャーナル紙記事への反論寄稿」の副題で「森法務大臣コメント」が掲載されている。
(日)http://www.moj.go.jp/hisho/kouhou/20200105.html
(英)https://www.wsj.com/articles/ghosn-not-the-only-victim-of-japanese-court-11579031653
論旨は、同紙社説の内容が「日本の刑事司法制度を正確に踏まえていない。」ことを、①有罪率の高さの理由、②有罪率の高さを支える精密捜査が適正手続に支えられていること、③裁判官が審査しているという「令状主義」の観点から反論しているが、不都合な真実から目を背けている残念な代物である。
国内向けなら相手にするまでもないと放置するところだが、世界に向けて嘘をつかれては困る。言わずもがなの内容ばかりではあるが本欄でも取り上げたい(本欄の読者層からすれば「何を今更」かとは思うが、一般向けとして取り上げる価値はあろう。可能であれば、今後、英訳を付し、国外に撒き散らされた誤解を糺したいものと思う。)。
まずは①③について。
①有罪率の高さについて、森コメントは、検察官が慎重に起訴する仕組みの中で起訴に至った件数を分母にした有罪判決者数の率が高くなる(99.3%)のは当然だという。そのこと自体は強ち間違っていないのだが、それでは分母を否認事件数とした場合はどうか。2018年度司法統計だと、全国地裁における否認事件数4626件に対し無罪・一部無罪は合計168件。なので、否認事件数に占める全部有罪率は96.3%となる。25人の無罪を訴える被告人のうち24人までが有罪となる有罪率が適正だと思うなら、そう述べるべきだ。不都合な数字を隠し、読者をわざと誤解させている。
③令状主義については、同じく2018年司法統計だと、全国地裁における勾留請求の認容率は(思いっきり)単純計算すると、却下件数4302÷(請求認容数95956+却下件数4302)=95.7%となる。勾留請求された20人の被疑者のうち19人が少なくとも10日勾留されるという事態に対し、厳しい司法審査が正常に機能している、などという評価が妥当するだろうか。令状主義という制度設計があっても、正常に機能していなければ、意味が無い。ここでも、敢えて数字を言わない、ということで、読者をわざと誤解させている。
さて、②である。
森コメントは、慎重な起訴のためには捜査や取り調べが強度に及ぶこと(日本語原文では「精確」つまり詳細という表現)もやむを得ないとしつつ、不当な取調べによって自白が追及されないように、(ア)黙秘権保障、(イ)秘密交通権、(ウ)弁護士同席でないことの代替として取調べの録音録画が行われている、という。
まず、(ア)黙秘権保障は実質的ではない。日本では黙秘権を行使しても、取調べは止まらない。被疑者は弁護人もいない中で小さな取調室の中で捜査官の質問を延々と受け続けなくてはならない。それも連日、長時間、夜中まで続くこともある。被疑者にかかる圧力は極めて高い。黙秘権行使しても取調べが止まらないなら(法廷であれば、ほぼ確実に弁護人の異議により質問の続行は阻止できる)、黙秘権が実質的に保障されているとは言えないだろう。
(イ)の秘密交通権。たしかに弁護士と被疑者が接見するとき、立会人はいない。秘密で会えない国は相当の独裁国だろうし、日本も、そこまでひどくはない。しかし、以下にも述べる通り、弁護を受ける権利は、被疑者がもっとも弁護を必要とする取調べのときには、認められていない(横にいないのだから認められていないのと同義だ)。とすれば、日本の「弁護を受ける権利」は、総じて不十分と言わざるをえない。
そして(ウ)の、取調べに弁護士が立ち会えなくても録音録画があるから問題ないという点は、これも良く知られていることではあるが、取調べの録音録画が義務になる事件数は概ね3%程度と見られている。取調官が適当と思えば録音録画が可能であり、その数量が一定数あることは認めるが、そのような自主的な録音録画は警察段階では殆ど行われていないし、なにより、97%という大多数の被疑者に関し、監視される側に、監視されるかどうかの選択権があるというおかしな事態に変わりは無い。このような数字を正しく説明しないというのも、やはり読者をわざと誤解させているものであろう。
もう一つ、録音録画が弁護人の立ち会いの代替になるという主張は、弁護人の役割を、監視カメラ程度に矮小化しているという問題を含む。なるほど弁護人不在でも、録音録画すれば、あからさまな暴力や脅迫は減るだろう。しかし弁護人の役割はそれに留まるものではなく、例えば黙秘権の行使について助言したり、取調べの前提が正しくない情報に依拠している疑いがある場合にこれを咎めるなどして、取調べが被疑者の適切な意見表明の場となるよう、実効的な援助を行うべきものである。これなくして、被疑者は適切な意見表明の機会を保障されず、その主体性を失う。森コメントは、弁護人の役割、ひいては弁護を受ける被疑者の権利の保障の実態がお粗末なことを、正しく説明していない。
正しい数字を示さず、ごまかしを重ねておきながら、よくも「日本の刑事司法制度を正確に踏まえていない」等と批判できたものだと呆れる。我々日本の刑事弁護人は、数十年にわたり、自白を強要する「人質司法制度」からの脱却を訴えてきた。遅すぎではあるが、だからといって改革を拒むことは許されない。法改正と運用改正が必要だ。
(弁護士 金岡)