保釈中の逃亡阻止のため、刑事罰を新設せよとか、GPS監視を導入せよとか、議論が喧しい。そして、弁護士層からも、GPS監視に同調する意見が聞こえてきている。
例えば久保利英明弁護士。毎日新聞本年1月20日付け夕刊の特集にて、ゴーン氏事件を取り上げて「日本の司法は人権が侵害されても頼りにならないという現実に気づかないといけない」とする一方、保釈時にGPS監視をしない日本の制度に対する文脈で「日本はあまりに性善説に寄りかかり、ボーッとしすぎているとしか言いようがない」とする。逃げるかも知れない前提でGPS監視を導入せよ、という指摘に読める。
刑事分野では高野隆弁護士。朝日新聞の本年1月22日付けインタビューで、「代用監獄作戦」と称する保釈条件闘争による保釈獲得経験を披露する一方、「GPS監視には賛成だ」「裁判所に出頭しない可能性が高い人、地域社会に危険を及ぼす恐れがある人に取り付けるという発想はあっていい。」とする。
久保利説は、性悪説つまり逃亡するかも知れないことを前提に、全面的なGPSを是とするという御意見なのだろうか。それとも、高野説のように「可能性が高い」という縛りをかけた上で例外的にGPS監視を許容する立場なのだろうか。率直に言って、前者はお話にならない。推定無罪だろうと性悪説で監視します、等と弁護士が言い出すようでは世も末だと思う。軸足は人身の自由に置くべきであり、GPS装着しないと人身の自由が保障されない領域をどこまで容認せざるを得ないか、という問題であるべきだ。
では、「出頭しない可能性が高い」という縛りをかけた上で(高野説の地域社会云々は、おそらく仮釈放や常習的前科がある場合の電子監視を言うものであろうから、それはそれで言いたいことはあるけれども、本稿では除外する)例外的にGPS監視を許容する、というのはどうだろうか。
確かに「出頭しない可能性が高い」けれども保釈が不可能ではないのでGPS監視を条件に保釈、というのも、保釈されないよりはまし、とは言えそうだが、ことはそう簡単ではない。
第一に、どこまで監視するのか、である。
GPSの監視対象がどこまで広がるか次第では、GPS事件大法廷判決にも抵触する事態が起きかねない。未決の被告人がプライバシー侵害を甘受する謂われはないし、逃亡や保釈条件に反する以外の行き先制限を受ける謂われもない。一般的な保釈条件において海外渡航は要許可事項だが、せいぜい、空港や港から何キロ圏内で警告表示が出る、というような監視以上を適法視することは困難だろう。しかし、「空港や港から何キロ圏内」だからといって行き先が海外と決まったわけではなく、もしそこで監視者が直ちに連絡をとって説明を求めたとして、「空港近傍のどこどこへ行く予定です」と説明する義務を科すなら、それは過度のプライバシー侵害になる。そうしてみると、違法なプライバシー侵害や行き先制限を回避した、節度のあるGPS監視というのは、机上の空論に過ぎないように思われる。
第二に、誰が監視するのか、である。裁判所だろうか。裁判所は、建前として、中立公正を堅持する必要があり、被告人を監視するとか、ましてや疑いの目で調査する、という立場に立つべきではないだろう(ついでに、釈放に向けられた裁判を17時以降は拒否する傾向が出ている裁判所が、24時間、GPS監視を行うのだろうか、という疑問もないではない。捕まえる方には熱心に映るのが事実だが。)。
であれば検察・警察であろうか。「節度のあるGPS監視」であっても、対立当事者に行動が筒抜けというのは不合理であるし(弁護人の事務所その他の関係先が警告表示に引っかかる場合を考えると明らかである)、対立当事者でなくとも捜査機能を有する公権力に行動が筒抜けということは、やはり違憲の疑いを抱かせよう。
となると、中立公正な第三者機関でなければ監視主体になり得ないが、そのような第三者機関が現実のものになるとも思いづらく、ここでも机上の空論である。
第三に、濫用に亘る懸念である。「日本の司法は人権が侵害されても頼りにならないという現実」を喝破する久保利弁護士や、保釈後の受け皿を「代用監獄」と自虐しなければならないほど厳しいものにせざるを得なかった高野隆弁護士は、GPS監視条件を付する主体が、よりにもよって、その裁判所に他ならないことを、どのように考えられるのだろうか。高野隆弁護士の見解では、おそらく極めて例外的な措置として許容されるのだろうが、検察・警察当局からすれば、これ幸いと、GPS監視条件による取引的な主張が呈示され、裁判所が日和るということが、十分に懸念される(検察官の「著しく不相当」意見に日和る裁判所が多数に上ることは、刑事弁護人なら誰でも知っていよう)。
いやしくも弁護士が、未決の被告人の行動監視を受け入れ、濫用に亘らない責を第一次的には裁判所に担って貰う、という発想に立つことには、全く賛同できない。
考えてみれば、GPS監視は、保釈の範囲を拡大するように見えるものの、不可避に常時監視という人権侵害を伴うものであり、その上っ面に踊らされるべきではなかろう。
寧ろ、立法事実が乏しいということに気付くべきである。
GPS監視があれば逃亡を防げたかも知れない保釈事例が、どれほどあるのか。ましてや、本稿で指摘したとおり「空港や港から何キロ圏内」以上の監視が出来ないとした場合、その程度の監視で逃亡が阻止できただろう保釈事例があるのだろうか。下手をすると、唯一、ゴーン氏の事例がそれである(或いはゴーン氏の事例すら阻止できなかったかも知れない)、ということも十分に考えられる。
一例、二例と極端な事件が起こると、いきなり立法的手当てが叫ばれるという事態が繰り返し起きている。GPS監視による保釈も、その類に映る。
(弁護士 金岡)