黒川氏を懲戒免職にしろ(或いは刑事訴追しろ)、退職金も支給するな、の大合唱の趣がある。野党幹部からも、軽率にもこのような発言が飛び出す始末だ。
無論、碌に事実調査もせず幕引きを諮る政府と、形式的には犯罪性のある賭博を嗜んだ御仁に最大の責任があることは言うまでもないのだが、他方で、このような感情的な個人攻撃には相変わらずうんざりさせられるし、こと法律家は、同調せず寧ろ「法治」を説明して回る必要があるのではないかと考える。
例えば退職金問題について言えば、周知の通り、労働契約内容を構成する退職金の場合、これは賃金に準じた強い保護を受けることになるし、賃金後払い的性格、功労報償的性格、生活保障的性格の3つの性格を併せ持つことからも、そう簡単に不支給にして良いような代物ではない。とりわけ賃金後払い的性格、功労報償的性格に照らせば、全額不支給など到底、無理であり、せいぜい、一部減額が可能かどうかの水準でしか議論できないと思う。
仕事柄、刑事事件により有罪になり失職する依頼者の事件を担当することはそれなりにある。その時、積年の積み重ね=賃金後払い的退職金までがゼロになることには強い疑問を覚えているし、依頼者がその気力を持つなら、喜んで法に問いたいと考えている。
露悪的な批判が巻き起これば起こるほど、この種の制裁を叫ぶ声が強まるが、それはそれ、法的保護に値する権利までを剥奪することは出来ないはずだ(なお、前記の通り、政府の幕引き路線には得心がいっていないし、事実関係次第では、根拠規定が有る限りにおいて一部減額は有り得ると思っている)。
懲戒免職や刑事訴追にしても、これらは謙抑的であるべき強度の制裁であるから、比例原則や、他の事例との均衡などに配慮し、個人攻撃に傾かない範囲でならなければならない(現時点で、類例を示して懲戒なり刑事訴追の妥当性を示す論説にはお目にかかれていない)。同じ不正横断でも特定人は起訴する、特定人は起訴しない、といった人的要素が幅をきかすことを是認すると、それこそ、とある人物の係累であったが為に果物ナイフ所持ごときで銃刀法違反で逮捕、のような、権力の横暴を是認することになる。
今回、黒川氏を叩くように大合唱している層は、権力の矛先が合理的区別の理由を持たず自分自身に向くことも是認する覚悟なのだろうか。
権力に対し個人を制裁せよと叫ぶことが、法治に反すること、法治は権力を縛ってこそだということを、いい加減に、学ぶべきだと思う。
(弁護士 金岡)