弁護士コラム
「・・疑うに足りる相当な理由があるとき」とは(続編)
2020年5月31日(日)|Category:
刑事弁護
「自力での歩行や食事はできない状態」の被疑者の勾留や如何。
京都地裁は、くだんのA被疑者について、2号・3号で勾留を認め、弁護人からの準抗告も棄却した模様である。
曰く、病院への訪問客等の不特定多数と接触することも可能であるから、その者を介した罪証隠滅や逃亡のおそれがある、という発想らしい。
だれが見てもその資料に基けば大体罪証を隠滅すると認められる場合、或いは逃亡すると認められる場合にのみ、やむを得ず起訴前勾留を許す、という精神はどこへやら。
そもそも訪問客とやらが現に登場する可能性はどの程度か。
これあるとして、「不特定」のうちのどういう属性がA被疑者に協力するのか。
罪証隠滅にせよ逃亡にせよ、その協力は実効的なのか。現実味があるのか。そもそも生命を繋げるのか。
「絶無とまで言えない」どころか絶無のようにも思うけれども、ともかく、極めて希薄な抽象論の域を出まい。「不特定の訪問客が犯人です」と弁解して、はいそうですかと無罪判決を書く裁判所がいるだろうか?「一つでも具体的に言って見ろ」と、裁判官に迫る必要があろう。
どうせ、言えやしないのだろうけど。
因みに、勾留理由開示については、やはり同時期の国会の議論(1952年6月17日、衆議院法務委員会)で、このような指摘がされている。
「これは一般的なことです。よく勾留理由の開示などで、証拠隠滅のおそれがあるということを言つて、そのまま判事は逃げるようにして奥に入つてしまうのです。こういうようなきつかけで無責任なやり方をやつておる・・証拠隠滅のおそれありという勾留理由の開示は勾留理由の開示がないものである、理由の開示なき公判であるというふうに断定せざるを得ないのであります。」
全くもって、その通り。
そしてここでも、大方の裁判所は70年、進歩を拒んでいる。
(弁護士 金岡)