余り事例のない分野であるから、一つの事例提供として掲載する。
音信に問題なく公判出頭も欠かさない依頼者に対し、保釈取消請求が提出された。
曰く、住居制限違反であるという。
被告人は、保釈請求時、身元保証人宅が手狭で住めないことから、身元保証人共々、「夜は被告人宅で寝泊まりするが、身元保証人宅で夕食を食べる」という約束を裁判所に対する書面で誓約し、その上で、身元保証人宅を制限住居とする保釈許可を受けた。
その後、被告人は、約束どおり、身元保証人宅で夕食を食べ、身元保証人に被告人宅まで送り届けて貰い、被告人宅で寝泊まりしていた。
このような場合、生活の本拠である制限住居の定めは、約束の限度で、つまり夕食を食べる機会に身元保証人の監督を受ける限度で身元保証人宅とされたと理解できる、というのが弁護人の主張であり、そうでなければ、裁判所は、身元保証人宅で寝泊まりできないからには身元保証人宅では寝泊まりしないことを認識・予見しながら保釈を許可したことになり、背理であることを指摘した。
あわせて、先例上、住居制限違反の保釈取消は相当実質的判断がなされていることを指摘した。大阪高決1974年4月25日(判例時報742号145頁)が参考になるし、住居制限違反の認識が問題となることや、生活環境変化の報告を尽くしているかどうかなどが指標となることなど、こういう機会でもなければ学べなかった、とは言える。
裁判所は、形式的に5号違反を認めた上で、身元保証人宅にすぐには住めないことを保釈許可前に申告していたこと、約束どおり身元保証人宅で夕食を摂っていたこと、公判出頭を怠っていないことを挙げて、保釈を取り消さなければならない程の事情は無いとして、検察官の請求を退けた。
弁護人としては、「住居」概念は極めて多義的であり場面毎に解釈が区々になることからすれば、本件の制限「住居」の解釈自体が問われるべきであり、「寝泊まり」に拘り、あっさり形式的な5号該当性を認めた判断には不満である。他方で、保釈請求時の約束をきちんと守り、公判出頭に実害もなかったことを適切に評価したことは、正当であると言える。
寧ろ、身元保証人との連携を欠かさず(検察官提出の疎明資料である録画記録等においても、身元保証人が夜、被告人を被告人宅に送り届けている状況等が確認されている・・身元保証人宅で寝泊まりしていないことを裁判運営上の支障として問題視するなら、黙って見ていないで注意したら良かったのでは無いだろうか?その主張する条件違反を黙って見ておきながら、一転取消請求するというのは、公益の代表者としては姑息に過ぎるのでは無いだろうか??)、裁判所による書類の送達に具体的支障も無く、公判出頭も欠かしていない被告人に対し、保釈取消請求を主張し、剰え、悪質であるから全額没取を主張した検察官は、何を考えていたのだろうか・・と思わされる。せめて、保釈請求時の疎明資料をきちんと読むくらい、した方が良いだろうにと。
(弁護士 金岡)