(前註)本欄で既報の通り、被告人の腰縄手錠姿が傍聴人に晒されないようにするための窮余の自衛策は西脇裁判官により禁止されたが、同日の公判調書が入手できたので、異議理由の全文を公開する。なお、(1)即興の口頭で陳述したものであり学術論文でも書式例でもないこと、(2)後に忌避を述べる可能性を踏まえて一部棲み分けを図っていること、(3)それにしても裁判所の要旨調書の出来が悪いこと(そもそも刑訴規則によれば異議理由は逐語記載しなければならないのではないかと思われることも踏まえ、現在、調書異議を申し立てている)、(4)余りにみっともなさ過ぎる要旨部分は最小限度、手を入れたことを、お断りする。

(以下、公判調書に記載された異議理由の全文)

先程の布を広げようという行動は、被告人が手錠・腰縄姿を傍聴人の面前に晒されないために行ったものである。その範囲は被告人側入口付近の1メートル四方で広げれば足り、被告人が入廷して裁判が始まるまでの10数秒間、覆うものなので、法廷の秩序は乱されるとは全く言えない。護送職員の職務は被告人の逃走の防止にあり、被告人通用口の鍵を閉め、全員が中に入った状態で開錠するということだけであれば、被告人席で開錠しようと、通用口の入口で開錠しようと何も変わらない。開錠する間に傍聴人に晒されるのを防ぐ限度で、布を広げることが法廷の秩序に影響を与えるとは考えられない。わずか10数秒の措置なので裁判所の職務が妨げられることにはならないし、被告人の人格権を守るために正当な職務行為としてこの行為を行っているため不当な行状には当たらない。

大阪地裁の2019年5月27日判決が、手錠・腰縄姿のまま法廷で傍聴人に晒された被告人からの国家賠償請求訴訟において、被告人の人格的利益が侵害されていたことを肯定した判断を示している。
その要旨は、現在の社会一般の基準とした場合、手錠・腰縄姿の被告人が罪人、有罪であるとの印象を与えるそれがないとはいえない。手錠等を施されること自体通常人の感覚として極めて不名誉であると感じることは十分理解されるとの前提に立ち、そのような手錠等の姿を公衆の前に晒された者は自尊心を著しく傷付けられ、耐えがたい屈辱感と精神的苦痛を受けることになることは想像に難くない。このことに加えて無罪推定の地位もある。このように述べて、手錠・腰縄姿の被告人が傍聴人に晒されることが非常に人権上問題であると述べている。

このような社会通念に関する判断は尊重すべきと考える。静岡地裁浜松支部の裁判員裁判や名古屋地裁半田支部において、それぞれさまざまな工夫によって、このような事態を回避する努力をしている。半田支部は傍聴人に出てもらい、被告人の開錠が終わってから傍聴人に戻ってきてもらうという措置を採っている。静岡地裁浜松支部は移動式の衝立を通用口の入口に置いて、そこで開錠してから中に入れる、といった形で訴訟指揮をすることによってこのような事態を回避した。

弁護人は6月19日に配慮を要請したが、裁判官から6月24日に消極であると連絡を受けた。裁判所は、事案の性質を踏まえて考えたと述べたが、事案の性質を踏まえて手錠・腰縄姿を晒されて良い被告人とそうではない被告人がいるということは、弁護人には理解できない。次に裁判所は、法廷の設備状況を挙げ、護送職員の体制や期日が連続で入っていることを述べ、この1件だけならやれるではないかという弁護人の感覚はどうかと思うという趣旨のことを述べた。その後の裁判所とのやりとりを踏まえて、裁判官が言いたかったのは、本日のこの期日で被告人が手錠・腰縄姿を晒されずに済むような措置を採ることができるかもしれないが、一般化すると困るということであると理解できた。一般論として、一般化すると困るというのは、つまりほかの刑事被告人が同じように配慮して欲しいと声を上げた結果、名古屋地裁の全部の法廷に衝立を置かなけばならないとか、そのために職員が走り回らないといけないのは困るという意味だと思うが、浜松支部のように法廷に衝立を常設すればそのような労力はいらなくなる。書記官が衝立を動かすだけで簡単に遮へい措置が採れる。証人の人権を守るためには遮へいをする裁判所が被告人の人権を守るために衝立1枚も動かそうとしないのは非常に不公平である。あるいは傍聴人に一旦出てくださいと伝えて傍聴人が出て、その後被告人を開錠すればこのような問題は解決する。どちらにせよそういった工夫は可能であったはずであり、裁判所が全ての工夫を拒んだ末に、被告人の手錠・腰縄姿を傍聴人に晒しても良いと判断したことは非常に問題が大きい。
もし今回をきっかけに他の被告人が配慮を求め始めた場合は、そのような需要があるということであり、どの被告人も手錠・腰縄姿を晒されることが当たり前だと受け止めていたが、それが恥辱だから配慮を受けられると言うとすると、裁判所がそのような配慮をすべきなのであって、みんなが我慢してるのだからあなたも人権侵害を我慢しなさいと言うのは裁判所が言うことではない。ほかの人がどうであれ自分は自分の人権感覚を信じるというのが裁判所の独立した訴訟指揮権であって、それを逆に、みんながそうなんだからあなただけ良い目をするわけにはいかないでしょうというような訴訟指揮をすることは間違いである。

裁判所が応じないので、弁護人は仕方なく布を持ち込むことを裁判所に提案した。裁判所が工夫をしない以上、弁護人が、依頼者が不当な恥辱を受けることがないよう守らなければならない。かつて被告人は法廷の真ん中に座らせられ、そこには机もなく、明らかに裁かれているという印象を受ける席だった。それが一つの運動によって、被告人が弁護人の傍に座るのは当たり前であり、隣に座らない方がおかしいという声の中で、裁判員裁判の導入をきっかけに身柄事件でも被告人は隣に座る景色が定着した。そのような歴史に鑑みれば、間違っている点は改めるべきである。被告人を法廷の真ん中に座らせることが、有罪前提という印象を与えることがよろしくないということで改善されたという歴史に鑑みれば、手錠・腰縄姿を晒すことがよろしくないから、これを変えていきましょう ということは一人からでも始めるべきであって、一般がこうだから止めておきますということは、悪しき前例主義であって、みんなが人権侵害されているのだからあなたも人権侵害を我慢しなさいということに全く説得性はない。

被告人から事前に意見を聴いたら、手錠・腰縄姿を傍聴人に晒されるのは非常にきついと述べていた。そうであれば、浜松支部や半田支部のような裁判官の訴訟指揮において、辱めを受けないようにできるかぎり最善をつくそうということを被告人に約束して、裁判所と協議を重ねたが、どうしても応じてもらえなかったので、布を広げて傍聴人の視界を覆い隠し、そこで外してもらうという方法を提案した。本来裁判所が動くベきところ弁護人が代わりに動いた。これは被告人の人権侵害を守るためなので、緊急避難といえるかどうかはともかくとして、弁護人の正当行為には間違いない。したがって裁判所法71条2項の不当な行状にはあたるはずはなく、弁護人の正当行為を誤った法律を適用して、制限したことは違法であるから異議を申し立てる。