現在の2ヶ部(堀内裁判長、鹿野裁判長)で試みたが何れも一切の配慮を拒否された。
高裁で身体拘束されているということは、圧倒的大多数の事案が原審有罪であるが、つまりは無罪推定は及ばないよとでも言いたいのだろうか。
それ自体が完全なる誤謬であることは論を待たないが、くだんの大阪地裁が指摘したのは、無罪推定は序列二位の理由付けであり、主要な理由付けは個人の尊厳にあったことが全く理解されていない。
誰であれ、どのような理由であれ、公的に辱めを受けさせるには相当の理由が必要だろう。未決の被告人が勾留され、公開の法廷で裁判を受けなければならないことが上記の辱めを正当化するとは到底、考えられない。
十分とは言えないが、押送に「手錠カバー」等を装着するところもある。それに引き替え、ぎらぎらした手錠、腰縄丸出しに「配慮を要しない」とは。配慮を拒んだ、かの西脇裁判官に申立理由中で「手錠腰縄姿でショッピングモールや裁判所前を歩けますか?」と問いかけたものだが、堀内裁判長らは「勿論、歩ける」と答える神経の持ち主なのだろう。
利益原則は究極の人権保障規範だが、上記のような神経の持ち主が、人権保障規範に忠実な裁判を行えるとは露ほども思われない。一事が万事と言うが、一つの人権課題への取り組みの姿勢が、その人格や資質の欠如を強く推認させる。
(弁護士 金岡)