情報筋によれば、名古屋地裁の一審強において弁護士会側が腰縄手錠問題を取り上げようとしたところ、裁判所側は「個々の裁判官の法廷警察権の問題」として一切、協議に応じようとしなかったという。事実関係は、今後の愛弁の会報で公表されるであろうが、他会からも全く同様の報告が上がってきているので、事実として間違いないだろう。
私も一時期、一審強に参加していたことがあるが(時間を割く意味も感じられず、程なくして辞めた)、その時の記憶で、確か検察庁側から整理手続における争点整理の在り方について議題が提出され、侃々諤々と議論したことがある。
この時、裁判所側が、「整理手続における争点整理の在り方は個々の裁判官の訴訟指揮の問題」として協議に応じようとしなかった、等と言うことはない。
この2つを比較すれば、裁判所が、腰縄手錠問題について理屈の上で劣勢に立たされていることを自覚し、しかし現状を変えたくないという思惑から、裁判官の独立を隠れ蓑に不当に協議を拒否している、と言うことが分かるだろう。
個々の裁判官の独立を言い出せば、一審強など存在する意味が無くなるし、もっと言えば、例えば腰縄手錠問題について最高裁から出されている通知なども、個々の裁判官の独立を害するから宜しくない、ということになろう。
腰縄手錠問題について最高裁から出されている通知を唯々諾々と受理し、それに諄々と服している名古屋地裁が、そのこと自体を問題視しないでおきながら、弁護士会側からの協議には裁判官の独立を隠れ蓑にする、随分とまあ、みっともないものである。子どもでも言わない、とは正にこのことだろう。
裁判官の独立は、適正な裁判のための手段である。頑なに変革を拒むための口実に使って良いものではない。そんなことも弁えない裁判所に、果たして適正な裁判を期待できるのだろうか。
(弁護士 金岡)