証拠開示を中心とした整理手続研修に講師陣として参加した。日弁連ライブ研修に参加するのは初めてである。
内容的には、腕に覚えのある講師陣が最前線で自ら工夫した遣り方、実践例を披露するのだから、面白くならないはずがない。収録価値のあるものになったとは思う。
しかし、考えてみれば、捜査機関の保有する証拠の「開示のさせ方」に技術の習得を要する、というのは実に馬鹿馬鹿しいことである。
ごくごく一部に、開示に伴う重大な弊害があり、一定の条件を付される、ということを否定しないにしても、その他大勢の大多数の証拠について、無条件で即時、開示するという制度にならない理由が分からない。
開示すれば検察側の主張が通らなくなる危険があるというなら、より悪い方向に間違わない裁判のため、公益の代表者は甘んじてそれを受け入れる必要があるだろう。開示しても検察側の安全度に変化がないなら、開示すれば良いだけのことである。
よってたかって「開示のさせ方」を研鑽し、その技術を伝えていく、という研修は、実のところ、我が国の刑事訴訟法の後進ぶりを見事なまでに示しているだけに思われる。
話題は違うが、このライブ研修は、現在の情勢に鑑み完全ズームで実施された。
パネルディスカッションまで含め4時間、聞いている側の感想は分からないが、私としては、投げかけることの出来た情報量が十分でないという手応えである。ズーム研修の講師を何度か務めたが、一向に感触が変わらないので、慣れ不慣れの問題ではない。
当意即妙で掘り下げの度合いを調整することは勿論のこと、その他の要素でも、臨場性、その場での口頭弁論それ自体に、伝えやすさ、伝わりやすさの要素があるのだろう。そう考えると、幾ら時代がIT化を求めようと、法廷は口頭弁論の場であるべきだ、という思いを強くする。
(弁護士 金岡)