かつて本欄を賑わせた、盛岡地裁における「処置請求」及び仙台高裁による破棄差戻し等、話題に事欠かない交通事犯(在宅)について、ようやく差戻し第1審の第1回期日が開かれた。2012年6月の交通事故、2014年に起訴され、爾来7年。幾ら「第4審」とは言え、余りに遅すぎる(そして、筆舌に尽くしがたい上に、係属中なので、現時点では本欄での言及は控えるが、差戻し第1審係属後の2年間、見るべき前進がないままの第1回突入という、異常な事態である)。
さて、件名についてである。
差戻し前第1審では、(黙殺状態であったかも知れないが)弁護人席に並んで着席(SBM)していた依頼者が、なんと差戻し後第1審では、「弁護人席の前へ」という扱いを受けた。差戻し判決をした仙台高裁でもSBMを認めなかったことを思えば、東北地方は全般的に被告人の当事者性が確立していない未開の地だということになるのだろうか・・四半世紀前ならいざ知らず、今更にSBMが実現しない事例を報告せざるを得ないという事態は、流石に驚きである。
異議を申し立てるも棄却され(加藤亮裁判長)、やむなく、例によって例のごとく、弁護人が被告人席に一緒に座るという展開に落ち着いた。
また、これは盛岡地裁全体の方針なのだろうが、依頼者の当事者性が尊重されない事態はここに止まらない。まずは所持品検査である。民事家事の当事者は素通りなのに、刑事被告人だけが手荷物検査を受け、金属探知機を当てられる。依頼者の方針で異を唱えず仕舞いであったが、その醜悪な偏見に基づく扱いには、内心的に高葛藤、正視するに堪えない事態であった。
加えて、法廷内で「被告人の周りには手荷物を置かないように」という指示までされた。これは前代未聞である。しかしながら、依頼者が「鋭く尖った」筆記具を用いることは妨げられず、また、並びの机上に、「鈍器」たり得る厚い事件記録ファイル、硬いノートパソコンなどが並んでいたので、手荷物だけ下げさせて何の意味がある指示なのかは謎としか言いようがない(形式的権威主義、と言うやつだろうか)のだが、まあ随分な扱いではあった。
ここまで前時代的な刑事裁判があり得るのか、と驚かされる。
ところで、SBMを妨げる理屈についての書記官の説明は、かなり珍奇なもので、裁判体の指示を仰いだ上で、「備品の椅子を動かせないという決まりです」という、文字通り訳の分からない説明がされた。
・・そこに座っている修習生の椅子、動かせますよね?・・被害者参加人が5名くらいいても、椅子を出さない決まりなの??・・3年前の差戻し前第1審では椅子を動かしてませんでした???・・とまあ、想像の限りを尽くしてもなお予想の外、斜め上の珍奇な説明であったことを、付け加えておこう。書記官の腹から出た説明ではあるまいから、加藤亮裁判長の「有り難い」(直訳)お考えなのだろう。
とまあ、手荷物を退けさせながら「鈍器」は放置、被告人の当事者性を否定する理由が「椅子を動かせない」、などと述べる裁判所は、世間知らずとか非常識とはまた別次元の、理屈もへったくれもない、どうしようもない存在で、これはもう、弁護士会が一から教え諭すほかないだろう。果たして地元の弁護士会、弁護人は、どのように日々の刑事法廷をこなしているのか、取材する必要がありそうである。もし、依頼者の同意が得られない等の特段の事情のない限り、毎回、異議を申し立てて足跡を残し続けているなら良し、逆に、この種の運用を容認し若しくは看過し、例えば三庁の協議会で改善を申し入れた試しもないようなら、弁護士会、弁護人も同罪であり、存在意義は皆無と言うべきである。
(弁護士 金岡)