【尿中覚醒剤成分濃度の意味するところ】

本件では、Hの15日の尿中覚醒剤成分濃度が1.402㎍/mlであったところ(但し専門家によれば、その計算方法は科学的に精密とは言えないと後に指摘され、学習を進めたところではその指摘は正しいと認めざるを得なかった・・が、とりあえず本訴ではこれを前提にした、ということになる)、これは「薄い方、摂取後3日以上は経過していると見るべき」との科捜研技官の供述が、出口判決において援用されている。
この技官(岐阜科捜研の佐藤清人氏)は、より正確には、「10㎍/ml以下の場合は」「薄いという判断」であり、「ここ1日2日前に使用した可能性はない」と断じている。
そもそもHが、どのような純度の覚醒剤を、どの程度の量、服用したか自体、明らかでないというのに、濃度を以て「ここ1日2日前に使用した可能性はない」と断じること自体が非科学的であるが、より深刻なのは、この技官が、その証言の元ネタである文献をまともに読めていないと言うこと、出口裁判官がそれを糺せなかったというところにある。
以下、順に解説を加える。

そもそも、尿中覚醒剤成分濃度から遡って使用時期を特定するには、当然、摂取に係る成分量や(同時に摂取した水分量や)その時々の代謝能力により左右されるから、一義的科学的には困難であろうことは容易に想像がつく。
井上堯子「改訂版覚せい剤Q&A」Q32は、「吉良論文」が「10㎍/ml以上であった場合には、3日以内に使用したものと推定し得る」と報告していることを指摘した上で、これは「使用時期及び使用量が被疑者の供述によるものであるため、科学的な厳密性には限界があります・・」とも言及しているが、佐藤技官の元ネタはこれであり(事前の証言予定開示が威力を発揮する場面である)、「10㎍/ml以上であった場合には、3日以内に使用したものと推定し得る」から「10㎍/ml以下の場合は」「ここ1日2日前に使用した可能性はない」という論理を展開している。

さて、仮に百歩譲って、真の命題「A(10㎍/ml以上)ならばB(3日以内)」が成り立つとして、裏の命題である非A(10㎍/ml以下)ならば非B(3日以上)が成り立つか。高校生でも分かる単純な論理破綻である。「裁判官なら人間である」が成り立つとしても「裁判官でないなら人間でない」は成り立たない(弁護士だって人間である)。
そもそも、自身で尿中覚醒剤成分濃度から遡って使用時期を特定する研究をしていたわけではなく、元ネタの論文を紹介する程度の能しか無い技官を証人採用すること自体が間違っているのだが、上記のように破綻した論理を展開したからには、最早、相手にするまでもないはずである。

なお、吉良論文とは、科学警察研究所報告法科学編33巻4号所収の「覚せい剤の尿中排泄期間について」と題する論文であり、22名の覚せい剤を使用した被疑者を対象として、連日、尿中覚醒剤成分濃度の推移を解析したという(人権的には問題のありすぎる)労作であるが、井上氏が指摘しているように「使用時期及び使用量が被疑者の供述による」という致命的な欠陥があり、お世辞にも科学的とは言えない(論文中でも、うち3名について、その申告内容が常識的に考えて検査結果と整合しない、と自認されているが、この姿勢自体に、結果に忠実に法則を導くのではなく、法則に合わない結果を排斥するという非科学的態度が顕著である)(ついでにいえば、連日使用して覚醒剤成分が累積している可能性も全く考慮されていないように窺われる。被験者である被疑者が、連日使用していたとするなら、尿中覚醒剤成分濃度は累積的に濃くなるだろうから、吉良論文の結果は相対的に濃すぎる可能性が否定できないはずである。)。

このようにお世辞にも科学的とは言えないことをさておくとして、「10㎍/ml以下の場合は」「ここ1日2日前に使用した可能性はない」という佐藤技官主張の命題について吉良論文を参照すると、当日の尿で0.58㎍/mlの被験者1名(但し上記「整合しない」一人ではある・・「整合しない」3人を除くと「当日の尿」は3人分しかないことに注意を要する)、2日目の尿で0.80㎍/ml、0.56㎍/ml、1.36㎍/ml、といった被験者3名がいる(うち0.80㎍/mlの被験者は、翌3日目が1.12㎍/mlと、却って上昇している)。
このように、元ネタの吉良論文からは、「ここ1日2日」の使用で「10㎍/ml以下」はありえない、どころか、本件A氏の1.402㎍/mlを優に下回る結果が複数、得られているのである。
佐藤技官の主張が、論理学としても破綻している上に、元ネタの論文と照合しても破綻していることは、誰の目にも明らかだと思われたのだが・・。

出口判決は、この問題を次のように処理した。
「1.402㎍/mlであったとして、15日の一、二日前あるいは15日に間近い頃覚せい剤を使用した可能性は否定しきれない」。
「しかしながら、覚せい剤摂取後、日数の経過に伴い尿中覚せい剤成分の検出濃度は次第に薄くなる傾向があること、1.402㎍/mlが比較的薄いといえることは・・確実にいえる」このことに照らせば「佐藤供述は十分合理的である。」

吉良論文において、「ここ一、二日」の使用事案で1.402㎍/mlを大きく下回る濃度の被験者が22名中の3名(常識的に整合しない3名を除けば19名中の3名)もいるというのに、どうやったら「1.402㎍/mlが(ここ一、二日を排斥する意味で)比較的薄いといえることは・・確実にいえる」のか、ましてや、「10㎍/ml以下の場合は」「ここ1日2日前に使用した可能性はない」という佐藤技官の主張を擁護できるのか、皆目理解できない。
佐藤技官も佐藤技官でひどいが、出口判決は輪をかけてひどい。
論理が破綻している証言を、更に破綻した証拠評価で擁護するようでは、まともな判決を期待する方が無理だというものだ(率直に言えば、こと論理性や読解力において、お二人とも法廷に出てきて良い教養水準ではなく、小学校高学年くらいからやり直した方が良い水準にしか思われない)。

おそらく、まともな科学者、裁判官は、この佐藤証言や出口判決の論理に、「何を言っているのか理解できない」という感想を抱かれるのではないか、と思う。
しかし、弁護人目線から言えば、これは流石に極端にひどい部類ではあるが、杜撰な科学、破綻した論理は、幾らでも経験するところである。
そして、(素人ながらに囓ってみたからこそ言えることではあるが、)弁護人にもクロマトグラフ解析ならクロマトグラフ解析で、その科学的証明力を検討する上で必要な資料を入手し、科学的正確性を以て評価するための知見は圧倒的に欠如している。裁判が上記のように滑稽なまでにおかしな方向に行くのも、全体を通じてみたとき、弁護人が甘やかしすぎていることにも原因の一端がある、と言えるのではないか。とも感じたところである。

話を戻すと、高裁判決は踏み込まなかったが、本件で尿中覚醒剤成分濃度の意味するところは、10日、11日、15日、どの辺での自己使用とも大きく矛盾はしないし、取り立てて整合的とも評価できない程度、だったということになろうか。
なにかにつけて助言頂いている薬理学者も、「濃度だけから使用時期を特定していくのは、まあ無理だろう」「出れば、それなりの期間に使ったと分かる、という以上に拘るべきではないと思う」と、仰っていたが、なるほどそのとおりかもしれない。

(続く)

(弁護士 金岡)