本欄2019年1月25日「電光石火の準抗告認容」にて、「そして、おまけに。逮捕直後の初回接見時に、間違いなく国賠ものの接見妨害を受け、私はついに接見し損なったのである。」と書いた。
「間違いなく国賠ものの接見妨害」であった以上、当然、国賠を提起していた。
地裁では予想外にも敗訴し、控訴していたが、この程、無事、逆転認容された。
何が問題だったかというと、逮捕直後に接見要請があったために初回接見を申し込んだという、勾留前被疑者との接見事案であったところ、「一つしかない接見室に既に予約が入っているので午後1時からなら」という対応を受け、「いやいや、初回接見はそんなもんじゃないだろう(午後1時からは別の用事があるので待てないし)」と、取り敢えず当該警察署に赴いたところから始まる。
こちらの発想は単純で、(1)接見室が塞がっているなら取調室でも使わせれば良いだろう、(2)少なくとも接見室ゼロ庁における面会接見申出義務を認めた判例法理に照らせば面会接見は出来るだろう、というものであった。
特に(2)の論点は、なかなか興味深いものがあり、結果的に使える接見室がゼロの場合には面会接見申出義務が生じることを、2000年の初回接見の重要性を認めた判例法理と、2005年の接見室ゼロ庁における面会接見申出義務を認めた判例法理から導くという新たな議論の展開を目指したのだ。
ところで、この事件には、更に特徴があり、接見室を使用中であった件の弁護士Xが「事情次第では譲るよ」と留置管理に告げていたが、留置管理からこちらに、その譲渡意思が伝達されなかった、という特殊な事実関係があった。この譲渡意思が伝達されていれば、私はX弁護士と交渉し、確実に接見室を譲渡して貰えた筈だったのだ(そこまで断定できるのは、X弁護士が、「初回接見でそういう騒ぎ方をするのは金岡ではあるまいか」と、わざわざ電話をかけてきてくれたからである。悪名の高まりに助けられたのは幸いである。)。
そこで(3)の論点として、上記伝達義務違反による(面会接見妨害ではなく)接見妨害も、請求原因に据えた。
提訴時点から、(1)の論点はまあ厳しいだろう(例えば某M警察は、接見室にいくために必ず取調室の前を通る必要があり、開けっ放しの部屋の取調べの様子が覗けてしまうので、取調室を聖域化するのは失笑ものだが、県側はそう主張するに決まっている)と思っており、勝ちやすいのは(3)、しかし本当に判断して欲しいのは(2)、という感じの事案であった。いうまでもなく、被害の度合いから言えば、接見妨害>面会接見妨害なので、(3)で勝ってしまえば(2)は判断されないだろうとも、分かってはいた。
さて判決である。
原判決は、(3)について、平たく言えば、留置管理がX弁護士の譲渡意思を「来たら伝えようと思って待っていた」結果、刑事課と初回接見のための折衝を行っていた私に伝わらないのは仕方がなかったと判断した。初回接見の重要性や、勾留前被疑者との接見の仕組み(刑事課が窓口であること)を全く理解しない、どうしようもない価値判断を示された(名古屋地裁民事第5部合議、2021年1月14日判決)。
これに対し、高裁判決は、次のように判示した。
「本件申出(X弁護士の譲渡意思)があったことが留置管理係から刑事課に事前に伝えなられない限り、控訴人は、刑事課職員から接見室が使用中であり即時の接見には応じられない旨の返答を聞き、留置管理係に対して接見室の使用に関する申出等をしないまま、接見を断念することが予想され、このことは、留置管理課係職員(ママ)においても予見可能であった」
「被疑者と弁護人の接見の重要性、特に、初回接見がその後の防御及び弁護の方針決定等において重要なものと位置づけられることに照らすと、(留置管理係所属の)警部補は、控訴人に初回接見の機会をもたらす可能性がある本件申出に接した以上、自ら直接刑事課職員に対し、本件申出があったことを伝える・・・(等の)義務があったものと解するのが相当である」(名古屋高裁民事第1部合議、倉田慎也裁判長)
まあそうなるだろうな、という真っ当な評価である。
初回接見は特に重要である。接見室が空くかも知れないとなれば、それをきちんと折衝の場に伝える義務があるのは留置管理の基本であろう。
そして案の定、(2)の論点は判断するまでもないとされた。
それもまた止むなしである。
結局、この事案は、(3)の論点という特殊な事実関係下の事例判断である。とはいえ、留置管理が接見室使用情報を握っているところ、接見の生命線である空室情報は迅速且つ正確に弁護人に伝達される必要があり(特に、一度、塞がっているという説明があった場合は)、それが職務上の注意義務になることを確認した意味はあるだろう。
終わりに。
この事案は、控訴審で新たな主張立証もなく即日結審し、裁判所からは和解勧試があった。私の見立てでは、(3)の論点について、県側に再発防止のための対策を約束させるような狙いがあったのだと思うが、県側はこれを拒否した。
この種の国賠は、お金ほしさにやっているわけではなく(無論、あるに越したことはない)、公権力の誤りや行き過ぎ、失態を糺し、将来的に是正していくためにやっている側面がある。地裁高裁2年強の論戦の中で、県側が自ら襟を正そうとせず、無反省にも高裁の思いを汲み取らなかった、ここに深刻な病巣を見出さざるを得ない。敗訴を受けて、危機感を持って出直して貰いたいものだ。
(弁護士 金岡)