刑事裁判は思うに任せないもので、盛岡事件は検察官控訴された。
裁判所に確定したか確認すると「してません」。
検察官控訴かと確認すると「検討して回答します」。
で、「報道されているとおり、控訴されています」とのこと。
検察官控訴と同時に(控訴審弁護人ではない)原審弁護人は部外者になるから、報道されていなければ控訴情報を教えられないという見識だったのだろうか。
閑話休題。
このほど、上告棄却×2、控訴棄却×1、という戦績である。
つまるところ盛岡事件を除けば全敗。弁護人の勝率が高いとすれば無辜に対する濫訴状態と言うことだから、低いことを喜ぶべきなのかもしれないが、やはり低すぎである。
うち2件は引き継ぎ案件であり、思うに任せぬ上訴審の証拠開示に足を取られながらの弁護活動であったが、特にうち1件は、被告人の主張の真偽が写真のプロパティ情報一つで解決する事案であるのに、この点が闇に葬られてしまい、改めて日本の刑事裁判の後進性、というか原始的営みであることを思い知らされた。証拠開示命令を出さなかった最高裁、「警察にあるかどうか、探す気はない」と回答してきた最高検は、何れも、名前負けしている。差し詰め、「最低裁」「最低検」とでも名乗れば良かろう。
残りの1件は、刑法的な問題が中心である。
代金支払い前に商品を食べてしまった(事実関係として、食べたら代金を支払うという計画に争いはない)事案で窃盗罪の成否を争ったものである。
この問題が、難しい刑法上の問題を含むことは、直感的に分かるだろう。
事実、刑法学者の意見書の応援を得て論陣を張ったのだが、最高裁は三行半で、建設的な意見交換にすら至らなかった。
意見書は公刊され、ウェブ上で読める。好事家の目にとまり、議論が発展することを期待して貼り付けておく。
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/law/lex/21-56/031matsumiya.pdf
サイコロの目も鴨川も思うに任せないが、刑事裁判もまた然りである。
(弁護士 金岡)