名古屋入管におけるスリランカ人死亡事件を受けた動きであることは明らかであるが、2021年12月28日、入管庁において件名の運用指針が策定されている。

「器質的疾患又は精神的疾患が確認された被収容者」にして、(ア)収容継続によって、生命を保つことができないおそれ又はその健康状態を大きく害するおそれがある旨の医師の所見が示された、若しくは(イ)日常生活動作に対する援助が必要である旨の医師の所見が示された、場合は、必要的仮放免。外部医療機関に入院、治癒見通しが立たず治療が長期に及ぶと見通される旨の医師の所見が示された場合、継続的に健康状態を注視する必要がある被収容者については、本庁に諮り判断する。

大体こんなところである。
こと体調不良案件のみとはいえ、考慮要素が一定示されたこと自体は、前向きに評価すべきだとは思うが・・そもそも上記のような場合にでも取り敢えず収容しておけないかという発想自体がおかしいのであり、比例原則に照らし、(そのような健康被害を度外視して)収容をやむを得ないものとする程の強度の収容の必要性がある事案というのがどれほどあるのだろうか?という点を、先に解決すべきだろう。
全件収容主義などという明らかに違憲の考え方を前提に、小手先で内部基準を策定した程度では、問題は全く解決しない。

以前にも書いたことがあるが(本欄2021年5月12日)、(それで万事が解決するとは思わないけれども次善の策として)収容問題については令状主義に準じて司法関与を絶対のものとすべきであろう。
強度の収容の必要性というのは、要するに送還執行のためには収容が不可欠かというだけのことだから、勾留裁判や保釈裁判と共通性が高く、司法関与に馴染む。今回の指針であれば、金科玉条のごとく「医師の所見」「医師の所見」と書かれているから、医師の所見の合理性を判断するにおいて司法機関が入管に少なくとも劣らないことは明らかである。結局、収容について入管の裁量権を尊重すべき理由など全く一切どこにもなく、とっとと、入管の権限を縮小させるところから始めるべきだろうと、改めて思う次第である。

(弁護士 金岡)