著者のことは不明にして本書で初めて知った。
高齢受刑者問題について幾つかの論文を著されているとのことであるので、今後、読みたいと思う。

本書は、「治療と刑罰のあいだで考えたこと」の副題が付されているが、刑事施設に精神科医として勤務した経験を通じて考えられた諸々をエッセイ風に綴られたものである。学術論文ではないので主観に流れやすい点は否めないが、その分、読みやすい。

全体を通じて、被収容者の中に精神医学的な診断が付くだろう方が相応に見られること、更に言えば精神医学に基づく治療を試みるべきと思われる方も相応に見られたこと、にも関わらず司法や行刑はそのような需要に殆ど対応できる仕組みでないことへの警鐘が鳴らされている、と読めた。
例えば進行性の精神病に罹患した被告人に実刑判決がされた事案では、「刑務所に収容して懲役を課し、反省を促すなどと言うことはおよそ現実的ではない」にもかかわらず、裁判所は「深く反省し云々と、いつもながらの文書」で判決を下し、実刑に流れることを批判されている(147頁以下)。
刑を科す意味が無い場合にそれを判断するのが「なぜか検察官の権限」であり、しかも検察官は刑の執行に基本的に無関心であるため、刑を科す意味が無いという情報提供は刑事施設側から行う必要があるが、「たいそうハードルが高く」色よい返事があったことは一度も無い、その指摘もされている(136頁)。

刑の執行現場に対する関心の乏しさは、耳の痛いところであり、裁判所や検察官への批判は弁護士も甘んじて受けなければならないが(ちなみに本書では、総じて弁護士の影は薄く、取り上げられるとすると、国選弁護士は十分な仕事をしていない、という感じで登場している)、もともと外部の精神科医からは閉鎖的、硬直的、不合理に映るのだろうことは弁護士からもよく理解でき、同調したいところだ。

獄窓記の告発した実態は、近時も引き続いているようである(本書は2021年刊行である)。硬直的な実刑判決を咎めるのは、弁護人が隣接領域の知見を借りて、批判的検証を怠らないことに尽きよう。その積み重ねが立法事実になると思うほかない。

(弁護士 金岡)