保釈の話題。
否認事件でも工夫次第で早期の保釈を実現出来る、と説いてきたし、実践もしてきたところである。
保釈裁判が改善したかどうかは評価の分かれるところであるが、既に指摘されているように、本当に検証しなければならないのは、本来保釈されるべきであるのに費用の手当が付かない等の事情により放置されていた群を除外し、例えば捜査段階から一貫して否認されている類の保釈率が向上しているかであり、もとよりそのような検証はされていない。
検証はされていないが、体感的に言うなら、「工夫次第で早期の保釈を実現」するには少なくとも相応の技量と犠牲を要するので、従って、そこまでしなければ実現しないところを見ると、大して改善してはいないのだろうと思われる。
そして「当たり外れ」である。
なんでもかんでも裁判官の所為にしていては自ら進歩を止めるようなものであり、先ずは足らざるを自省するところから始めるべきことは言うまでもない。
しかしながら、どうしたってどうしようもない場合もあるだろう。
例えばこんな決定。
「(本件犯行に)被告人が同意していたこと等を認める旨の上申書を提出していることを踏まえても、本件の罪体及び重要な情状事実につき罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由があり(4号事由があると認められる)そうすると・・保釈を許すことが適当でないとした原裁判は不合理ではない」(2022年8月4日付け決定、名古屋地裁刑事第5部、大村陽一裁判長)
上申書を前提に4号事由の「有無程度」(実効性や現実性)を検討しなければならない筈なのに、その形跡もない。裁量統制の「さ」の字もなく、なにがなんやら分からない。「人質司法だ!」という以前の問題として、「一体、何をどうかんがえたらこうなったのか」という代物である。
そろそろこういう愚かしい決定理由を「過去の遺物」と言いたいのだけれども、裁判官3名集まって大真面目に、塵芥に等しい決定書を量産し、脈々と承継していく(陪席裁判官への教育上も悪影響しかなかろう)のだから、当面どうしようもないだろう。
近時の、工夫次第で何とかしてきた案件と並べてみて、「外れだなぁ」としか言いようがない時、実にやるせない思いをする。
そういえば、先日、事務所に来ていた修習生が、「一番驚いたのは、身柄へのリスペクトのなさですね」と話していた。自由をモノ扱いし、机の上で右から左に流していくことに慣れきっている裁判官は、やはり、接見室でいまかいまかと保釈請求の結果を待つような体験を積むべきだろう。修習生のこの新鮮な発言には、些か感銘を受けたことを付け加えておく。
(弁護士 金岡)