目撃者の目撃状況が一つの争点となっている事案に於いて、(当時の防犯カメラがある中で)検察官が別の季節(明るさも交通量も全然違う)の実況見分調書を提出してきたので、不必要不相当と争っていた案件である(本質を損なわない程度に改変した。以下同じ。)。

裁判所(三芳純平裁判官)は、「必要性相当性を認めて採用します」「但し、確かに季節や交通量が違うので、その点には留意します」と発言した。
そこで、そのような注意則を調書に記載するよう求めたところ、「必要的記載事項ではない」「そのような枝葉まで書く必要はない」と突っぱねられた。
弁護人としては、「裁判官が約束したことが確かに守られているかは、後日の判決を以て検証されることになるのだから、約束したこと自体を書かず検証を拒むことは不合理だ」「証拠を見る際の注意点は枝葉の問題ではない」と抵抗し、記載をしないという訴訟指揮にも異議を申し立てた。

すると裁判官は、「心構えなので発言は撤回します」と、こうである。

果たして裁判官は、無理な証拠決定を正当化するために、言い訳的に、心にもない注意則を「リップサービス」したのだろうか。それとも本気で注意深く見ると、被告人の懸念に応えたのだろうか。もし後者であれば調書に記載することを拒む必要は無い。心にもない注意則に後々、縛られることを嫌忌しての撤回と見ざるを得ない。
事実認定則の可視化を拒み、事後検証を拒む。
勿論、その言葉の軽さも含め、残念なお方だなぁと思う次第である。

ふと思い出したのは、裁判員裁判における説示を巡る議論である。
裁判員裁判における説示を公判で行うように義務付け、可視化すべきだという議論は制度導入当初からされていることである。
ある裁判体が認めなかった「経験則」を、ある裁判体が認めて無罪が有罪にひっくり返ることがあるほどに、事実認定の注意則は不安定であり、にもかかわらずその影響力は、証拠無き事実認定を経験則の名の下に可能にするほど、甚大である。「ブラックボックス」に人生を委ねることなど出来ない相談であり、極力、可視化しなければならないはずである。

その要請とは真逆に、舌の根も乾かぬうちの撤回騒動。
司法の健全化は遠い。

(弁護士 金岡)