刑事弁護とはさほど関係がない記事である。
良くある新人弁護士の挨拶状に「浅学非才の~」とか「甚だ未熟ではありますが~」等と書かれていると辟易する。苟も専門家としての第一歩目から「素人同然ですが許して下さい」というようでは、果たしてこの先、専門家としての自負を持って活動されるのか甚だ不安になる。
同じ理屈で、共同受任した若手弁護士が「勉強させて頂きます」みたいに依頼者に挨拶をするのを見ると、げんなりする。人生をかけた依頼をし、しかも相当の費用を支払って頂く側は、おそらく「勉強させてあげます」とは思っていないだろう。
謙遜の美徳とは言うけれども、使いどころを間違っては見識を問われるだろうし、依頼者の気持ちも離れるだろう。過剰な謙遜は考え物だ。
唐突にこのようなことを書きたくなったのは、週刊東洋経済の「弁護士が選ぶ弁護士ランキング」に載っているよとお知らせ頂いたからである。なるほど、不動の4人に続いて名前がある(調査媒体の弁護士ドットコムには登録していないので企画自体、知らなかった)。
基本的に「過剰な謙遜はしない」生き方を選んでいるつもりだが、果たしてこの4名に続いて載って良いのだろうかと自問すると、流石にどうだろうと思うところではある。何しろ22期~35期の4名とはたっぷり20年(以上)の経験年数の差があり、実績も段違いである。最前線で最先端の実践を続ける、というのも、この層では当たり前(寧ろ、先日、講師にお招きした高野弁護士が平然と倍量の仕事をされているとお聞きし、心胆寒からしめられたところだ)だろう。
とはいえ、姿勢が同業者に評価されているのであれば、方向性に誤りはあるまい。地道に実践を続け、それを惜しまず伝え(これは案外重要なところで、know-howの出し惜しみほど専門家として詰まらないことも、そうそうない。真似されれば本望、更に改良されれば全体の利益と考えたいものだ。)、更に良いものになるよう取り組む、ということであれば人後に落ちるものではない。
さしあたっては、かねてからの目標である実務書の企画を復活させたいところだ。
(弁護士 金岡)