「そこそこ著名人の誰々から、このような加害を受けたので、提訴しました」という類の記者会見を見る度に、もやもやとした思いに囚われる。
果たしてそれは名誉毀損ではないのだろうか。
その著名人の認否がどうであるにせよ、一方的な被害主張を記者会見で世間に流布させることは、通常、その社会的評価を下落させるから、名誉毀損に該当する。
さしあたりの問題意識は、その違法性を阻却すべき、公共の利害に関する事実に係るかどうか、また、主として公益を図る目的であるかである。
そこそこ著名人の、私的な加害行為を暴くことは、どのような意味で公共の利害に関すると言えるのか、実のところ腑に落ちない。
解説書では、「その事実自体が公共性を持つものであるという意味ではなく、公共性のある事実を評価・判断するための資料になり得るものであることをいう」とされているが、これも分からないようで、やはり分からない内容である。
そこそこ著名人の私的な加害行為自体が公共性を持たなくてもよいが、「公共性のある事実を評価・判断するための資料になり得るものである」というのはどういう場合なのだろうか。その著名人の公共的活動を評価する資料になり得るならば良いと言うことだと解釈するなら、結局、その著名人の公共性が決め手なのだろう。解説書では、念頭に置かれているのは、政治家、公務員、医師、弁護士、新聞記者、大企業の役員、などと並んでいるが、そうすると、特定の業界で表彰されたり、人気が出てCMに起用される「程度」で、公共性があると決めつけるのは誤りであるように思う。同じく解説書では、「その携わる社会的活動の性質及びこれを通じて社会に及ぼす影響の程度などによっては」該当し得る云々と書かれているが、どういう活動が「社会的活動」で、「社会に及ぼす影響」が公共的度合いに達するのかは、率直に言って、判じがたい。(少し話がそれるかもしれないが)以上の検討を踏まえると、有名なスポーツ選手の不倫騒動の報道、などは公共の利害に関する事実に係るなどとは全く言えないように思うのだが、現実には日々、報道されている。私の感覚の方がおかしいのだろうか。
もう一つ、公益目的であるが、上記のような記者会見は、基本的には当該著名人への個人攻撃の性質を不可避に持つ。それを公益目的と評価するのは難しいように思われる。「個人の目的ではなく(公的な)某組織の体質の問題である」といった告発ならば、まだ分からなくもないが、それにしても、個人の具体的行状や言動を事細かにあげつらうならば、それは最早、組織体質の告発から逸脱した、私怨ではないのだろうか、と思われるし、そこそこ著名人「程度」のことになると尚更、そのような正当化は困難であり、全国のお茶の間に大々的にお届けするだけの「公益目的」など、存在しがたいと思われる。
冒頭の、もやもやとした思いは、一言で言えば「確かに何らかの加害行為はしたけれども、私的な行状であり、それを全国的にあげつらって社会的に排撃することが正当化されるかは別問題である」「寧ろ、加害者扱いされて反論困難な立場に立たされている側に対する一方的な私的制裁ではないのか」というところにあるように分析された。
(弁護士 金岡)