先日来、本欄で取り上げている、略式不相当決定裁判官の続投問題、名古屋高裁の即時抗告棄却決定である。該当箇所を省略せずに抜き出す。
「裁判官が略式不相当と判断した後、検察官から提出された書類及び証拠は直ちに検察官に返還され、その後の審理においては、通常の公訴提起があった場合と同様に、起訴状一本主義(法256条6項)等の予断排除の原則に立ち戻り、適式な証拠調べの手続を経て心証を形成し、判決をすることになるから、略式不相当の判断をした裁判官が通常手続に移行した後の審理を担当したとしても、手続外の要因により、当該裁判官によっては、その事件について公平で客観性のある審判を期待することができないものとはいえず、直ちに不公平な裁判をするおそれがあるともいえない。」
「もっとも、略式不相当の判断をした裁判官は、その判断に際して検察官から提出を受けた書類等の閲読等を通じて検討を終え、一定の心証を形成していることは否定できず、予断排除原則との関係で問題がないとはいえないものの、裁判官忌避制度の趣旨を踏まえると、略式不相当の判断をしたことをもって直ちに忌避事由があるということはできない。」(名古屋高裁刑事第1部、杉山愼治裁判長)
「一定の心証を形成していることは否定できず」と認めざるを得ないのに、その続投を許容する理由はどこから出てくるのだろうか。決定理由後段は、正式裁判移行段階で一定の心証を形成していることは忌避事由ではないの一点張りで、正にそこが問われているのに、理由を何も語っていない。
他方、決定理由前段は、「予断排除の原則に立ち戻り」というのであるが、一定の心証を形成している裁判官に、白紙の状態に「立ち戻る」ことが本当に期待できるのだろうか。
もし、審理開始段階で一定の心証を形成している裁判官に、白紙の状態に「立ち戻る」ことが期待できるなら、どうして起訴状一本主義にしなければならないのか。効率よく裁判を進めるために全部を読んで頂き、「はい、ここで白紙に立ち戻りますね」という裁判の進め方をすれば良いだろう。刑訴法がそうしていないのには、そうできないだけの理由、つまり、予断を抱いてしまったら、白紙に立ち戻りようがないという評価が与えられているからに他ならないと解すべきだろう。誤魔化しも良いところである。最大判1952年3月5日は、起訴状に前科を記載した違法は治癒しない、としている。「前科部分を撤回して白紙に立ち戻れば良い」等とはしていない。何が違うのか理解出来ない。
もっとも、現実を見れば、全部同意した実行犯の事件の証拠を熟読して共犯事件を認定した裁判官が、全部不同意、冤罪を訴える指示側の事件の担当を平然とすることが罷り通っている世の中である。このような唾棄すべき誤魔化しは、何十年と続いており(たまたま目にした中原精一教授の憲法37条に関する1972年の論文で「裁判の公正・・被告人の人権保障に対する最高裁判所の姿勢はいま一つあきたりない」と喝破されているが、それから50年が経過しても同じことをやっているのである)、げんなりするが、弁護人が声を上げなくなっては終わりである、と思ってやるしかない。
なお、決定では、本件過失傷害事件は簡裁の専属管轄だということも指摘されていた。これは見落としであったが、当該簡裁(民事部1名、民事刑事兼任1名)で処理せざるを得ないから続投させることが許容される、という論理がまかり通らないことは明らかである。もし当の裁判官2名が被害者の過失傷害事件であったら?塡補でも何でもするだろう。なら、本件でもそうすればよいだけのことだからである。
【2023年3月27日 付記】 本年3月23日付けで三行半の特別抗告棄却であった。最大判1952年3月5日が「あらかじめ事件についてなんらの先入的心証を抱くことなく、白紙の状態において、第一回の公判期日に臨む」という公正な判決のための手続を保障し、かつ、予断を抱かせた瑕疵は治癒しない、と述べたことと、略式不相当決定裁判官の続投とは、どう考えても整合しない。70年の時を超えて手続保障が劣化している様をみるのは非常に残念なことである。
(弁護士 金岡)