琉球新報の本年3月24日付け報道によれば、辺野古の新基地建設を「国家犯罪」「犯罪行為」と表現する等した記載のある原告の意見陳述書に対し、裁判長(福渡裕貴裁判官)が、これらの表現が「不穏当」として、表現を変えなければ陳述を許可しないとする訴訟指揮を行ったということである(原告は、検閲のようだと感じながらも、「国が主導する違法行為」などと表現を変えた)。
この報道に接した感想は、検閲というよりは思想統制だろうなぁというものである。言葉狩り、言論統制により思想統制が行われるということは、ままある。特定の国家行為が、刑法に該当するかどうかの問題ではなく実質に於いて犯罪的であると受け止めざるを得ない者の感受性に対し、そのように表現することを禁じることは、言論統制であり思想統制である。
より質が悪いのは、この裁判長はおそらくそこまで考えていないということである。無思慮に公権力を振り回し、言論統制、思想統制をやらかす者を裁判官席に座らせるべきでは無いと思う。
ついでに思ったのは、どう考えても死刑など有り得ない事案で、切実な想いを抱えた犯罪被害者が死刑を望む、と表明することとどう違うのだろうか、ということである。このような犯罪被害者の声を「不穏当な表現」「行き過ぎ」と咎めることはないだろう。
であればどうして、国家行為を「犯罪」と断じることが咎められなければならないのだろうか。
無邪気な言論統制というだけではなく、国家に阿ることに疑問を持たない資質の持ち主だとすれば、最早どうしようもない。
(弁護士 金岡)