札幌地判2022年1月25日(谷口哲也裁判長)である。後から調べると報道もされていたし判例秘書に掲載されていたが、全く記憶になかった。
刑事事件本体は、被告人が捜査段階からバスの不具合による事故だと主張していることに対して、捜査機関が前方不注視及びハンドルブレーキ的確操作義務違反で起訴し、私選弁護人が就いて間もなく「センターメンバーが破断した場合にはバスの制御が不可能になる」との見解を明示すると、約4か月後にはこれを前提とした予備的訴因が追加された・・といった経過を経て、地裁で無罪判決が言い渡されて確定した。
国賠事件は、通常要求される捜査を尽くせば上記のようなバスの不具合による事故である合理的疑いが判明し、公訴提起に至らなかったはずであると主張されたものである。裁判所は、バスの不具合による事故の可能性に関する捜査について、必ずしも整合しない複数の見解のみに依拠した捜査の甘さや、被告人が素人的に推察した事故原因だけを調べれば良いというものではない趣旨の指摘をし、合理的な捜査を尽くせば前方不注視等で起訴するようなことはなかっただろうとして、国賠法上の違法を認めた。
判決文中で印象に残るところとしては、第一に、(当然のことであるが)「被告人となる者に対し、刑事訴訟手続に応じる経済的、精神的負担等の多大な負担を生じさせる」ことを踏まえた注意義務を課していることである。おそらく裁判所は、「検察官が有罪立証可能と判断したことにも相応の根拠がある」程度では不十分と考えており、被害者である被告人の立場に身を置いた、健全な考え方である。
第二に、私選弁護人が就任して短期間で無罪判決の決め手となる見解が明示され、そのわずか4か月後には予備的訴因が追加されたことを殊更に指摘している点である。一私人である弁護士が短期間で真相を言い当てている「程度」のことすら出来ていない、ということが心証形成上、影響を与えたように読める。
ところで、この判決は、損害論として、「私選弁護人を選任して・・報酬や実費等として484万2374円」を支払ったうちの、費用補償で支払を受けた291万6490円を除く全額を因果関係のある損害として認めている。一見すると当たり前の判示であるが、良く考えると、報酬や実費等の弁護士費用の全額が因果関係のある損害と評価されるのであれば、どうして費用補償ではその一部しか支払われないのだろうか?という疑問に行き当たる。
これは私自身も何度も経験していることであるが、費用補償事件は、「法テラスの国選弁護報酬基準を参考としつつ」報酬算定する等の考え方が定着してしまっており、私選弁護人費用からすれば、ごく一部しか補償されない。しかし、このように費用補償事件と国賠事件を並べて、国賠事件で因果関係があると評価される弁護士費用が費用補償事件では一部しか支払われないという現実を直視すると、やはり、費用補償事件の考え方自体を糺していく必要を感じるところである。
国家作用の誤りによって、刑事被告人の地位に置かれ、必死で防御活動をして無罪を得た人に対し、精神的苦痛どころか、経済的損失すら一部しか補償しない制度はおかしい。憲法29条1項に照らしても、(およそ弁護士費用とは評価し得ない特段の事情があるものを除けば)原則、実額を全て補償すべきである。
私選の無罪事件は、全国を数えれば年間数十件以上はあるだろう。実額補償を譲らないという声を上げ、また、実額補償を求めて国賠事件も併用することで、両者の損害論が分かれること自体が不当として基準を是正していけないものかと思う(かくいう私自身、最高裁まで行った費用補償事件は(一部無罪が絡んでややこしい法律論に発展した)1件しかなく、なんとなくぼんやりした損害論に、こんなものかと甘んじていたことを反省しなければならない)。
なお、担当弁護人から費用補償決定を参考に頂いたが、費用補償決定の原決定審(原彰一裁判官)では、私選弁護人2名の報酬相当額として「国選弁護人2名分の報酬相当額41万3800円」とした。約3年に及ぶ、極めて専門性の高い(判決を読んでも砂を噛むようなバスの部品アレコレの飛び交う)事件を、こんな低額で引き受ける弁護士などいない、ということが、裁判所に分からないのだろうか?この点は、即時抗告審(金子武志裁判長)で2人分140万円に是正されたが、それでもおそらく、着手金・報酬金額の合計には相当、及ばないだろう(裏付け取材によれば、概ね1.5倍程度の開きがあるように窺われた。仮に着手金・報酬金の合計が抗告審算定の1.5倍でも、割に合うという程でもないと思う。)。
また同じく原決定審は、無罪の原動力となった私選弁護人による私的鑑定について、「訴訟の結果に寄与した程度を加味して」75万7080円のうち40万円のみ計上したが、これも即時抗告審決定で「私的鑑定が必要だと考えたとしても無理からぬ面があったことなどに鑑み」全額が計上されている。無罪獲得に向けた善管注意義務に基づく最善弁護活動が、功を奏した部分しか補償されないとなれば、経済的負担をきらった萎縮効果が不可避なのであり、原決定審の考え方には問題が大きい。例えば、病院で色んな検査をして、病気を突き止めて貰った上で、役に立たなかった検査料は支払わないと言えるだろうか?
この点、私自身の経験として、結局は証拠提出すらしなかった弁護士会照会費用なども補償を受けた事例があるのを思い出す。結果として役に立ったかどうかは直接関係する要素ではなく、最善弁護活動としてやるべきだったかどうか、で判断されるべきは当然だろう。
ともあれ、色々と考えさせられる素材であった。
(弁護士 金岡)