公判期日調書に対する異議申立が認容された。ごく最近のことである。
公判期日調書に対する異議申立が認容されることの、それ自体は大した話ではないかも知れないが、やはり考えさせられるところはある。
内容は省略するが、要は相当に手続的な緊張感のある事案で、裁判所が弁護人の求めた職権発動に応じなかった。
そこで弁護人から、「Aなら大問題だが、Bなら引き下がる」ので、判断の前提となった事実認定はAかBかを答えよ、と求めたところ、裁判所は「Bである」と回答したので調書記載を要求、快く調書記載されたという経過を辿った(このように、決定の前提となる事実認定など、決定理由を説明する姿勢は好ましいものである)。
しかし調書を謄写すると、なんと「Aという前提で不発動を決定した」と読めるような記載になっていたのである。そこで異議申立に及んだわけである。
経過から考えて「Aという前提」なら弁護人が引き下がるわけはなく手続は紛糾したはずであること、もともと弁護人が「A」を強く問題視していたことなどを強調し、あわせて法廷録音の再生要求もしたところ、なにやら紆余曲折めいたことはあったが、弁護人の注文通りに「Bである」趣旨が明確な調書に訂正された(なお、再生要求は黙殺された・・弁護人の注文による「要旨化」は、趣旨方向性としては正しいが、録音的には歴史的真実とは異なるだろう)。
考えさせられるのは、今回は「AかBか」の事実認定に早くから注目が集まっていたので、弁護人としても集中して対峙できたし、もともと「AかBか」で紛糾しかかっていたことから弁護人が「A」を容認するはずがないという状況証拠もあり、幸いしたわけであるが、そのような事情がなければ、果たして訂正事由を立論できたか?という問題である。
「記憶ではこうだ」と言い張るだけでは認容されなかったかもしれない。
書記官の録音は、法廷の経過を正確に記録し、事後検証可能なようにするためのものであるから、等しく訴訟関係人に開かれるべきであろう。
大阪の弁護士が、文字通り、体を張って法廷録音許可を求める奮闘を続けておられるが、時として意味が真逆になるようなおそろしい調書が作成される事実が現にある以上、書記官の録音を弁護人(や検察官)に開示しない運用を続けるには限界があると思う。
時として真逆な調書が作成されてしまう、それを的確に糺すには法廷録音しかない。書記官の録音を開示しないなら、訴訟関係人には録音による備忘を認めるべきだろう。どちらもしないというなら、体を張って実力行使に及び、自らの依頼者と真実を守り抜こうとする弁護人が登場しても不思議はないし、その原因は専ら裁判所にあると言わざるを得ないと思われる。刑事訴訟規則の改正までいかなくとも、運用で制度化することも可能と思われ、裁判所は、宿題は裁判所側にあることを自覚して速やかに検討すべきである。
(弁護士 金岡)