本欄本年2月7日「拘置所による体罰・虐待を正当化する裁判所」の続きである。
担当弁護士より控訴棄却との一報があった。
前回記事に「一定の姿勢を強要するというのは、立派な体罰であり、虐待行為であり、拷問であろう」と記載したこととの関係の控訴審の判示部分は次の通りである。
(引用)
上記のような閉居罰の趣旨・目的(註:刑事施設の規律及び秩序の維持の必要のほか、閉居罰が反則行為に対する最も重い懲罰であり、謹慎を通じて反省を促すことを目的としていること等)に照らせば、閉居罰の執行中、正座又は安座を要するとされていることが不合理であるとはいえない。また、平日・休日それぞれで、昼食時及び午前・午後に解座時間帯が設けられ、1日の着座は数回に分けられている上、用便の際は解座時間帯以外でも解座が許容されていることに照らせば、受罰者心得による着座姿勢の定めが、憲法19条、13条に違反するとはいえないし、不必要な精神的・肉体的苦痛を内容とする残虐なものであるとか、拷問その他の残虐な非人道的な若しくは品位を傷つけるものとして、憲法36条に定める「拷問又は残虐な刑罰」に当たるともいえない(大阪高判2023年9月1日、石原椎也裁判長、檜皮高弘裁判官、鈴木秀孝裁判官)。
(引用終わり)
はあそうですか、としか言いようがない判示である。
いつの間にやら、体罰罪が創設され、刑事施設に裁判権と執行権が与えられたらしい。
彼ら裁判官は、さぞかし、御家庭での子弟の躾けに正座や安座の強要を活用していらっしゃるのだろうなぁ・・この際、日本全国の教育機関や、ついでに公務員(含む裁判官)に対する懲罰にも正座や安座の強要を導入したらどうだろうか、と嫌みの一つも言いたくなる。
勿論、教育機関や公務員に対する懲罰に、正座や安座の強要が標準装備されることはあるまい。してみると、「何故、被収容者にだけ、それが許されるのか?」という問題に突き当たる筈である。
所詮は法壇の高みから見下ろしていては、彼/彼女を等しく人権享有主体と思うこともできないのだろう。「動物のように扱う」(こういう表現は好きではないが、修辞的表現として用いることとする)ことをなんとも思わないのであれば、それは最早、人間性の深いところで裁判官不適格ということだと思う。
(弁護士 金岡)