整理手続の一コマ。
交代で選任された私が違法捜査を主張するとして証拠開示を求めるも、遅々として進まない。(整理手続ではないが)予定主張を提出して争点形成するも、「捜索差押えの全写真データ」が出された程度(これですら開示されない地域もあると聞くが、想像すらつかない未開の地である)で、それに至る捜査過程に関わる証拠は全く開示されない。
かくして全く進展のないまま3ヶ月が経過する。
「もう整理手続にしますか」「いやいや検察に、違法捜査の主張を争う予定主張と立証計画を出して貰えば・・・」等という堂々巡りが続く。
弁護人「開示しないというのは、捜査過程に関わる証拠は存在しないのか、それとも開示しないと言うことなのか」
検察官「現時点でお答えする必要はない」
弁護人「証拠を私物化して頑なな態度を取られると、もう整理手続しかないですかね」
検察官「整理手続にされて裁定が出ても、出さないものは出さないですけどね」
弁護人「裁定命令に従わないという意味?」
検察官「基本、ないものはないで対応するので」
出来の悪いコントかな?と思う。
こんなことに25分を費やした。
もうちょい有効な時間の使い方がありそうなものだ。
(後日談、約4ヶ月を経て、漸く検察が予定主張を準備することになった)
検察官が弁護人からの抗弁的な主張に対し、こういう態度に終始していると、刑事裁判はだらだらと遅延し、また活力を失うだけである(上記検察官が格別不出来であると言うこともあるまい)。
検察官は、失うものがない上に、そのうち裁判所がなあなあで片付けてくれるだろうと期待して、このような態度を取るのだろう(かつて、ヤメ検弁護士さんが自慢話のように「検察庁の虎の巻には、公訴棄却の主張には取り合うなと書いてある」と述べていたことを思い出した)。逆に言えば、だらだらとした、証拠開示に消極的な姿勢では痛い目に遭う、ということになれば、このような事態は改善されるに相違ない。裁判所の意識改革が重要になる。
参考までに、裁判所側の文献として、鑑定資料の保管状況に関してであるが、「被告人が体験し得ない場合が通常であり、関係証拠が専ら捜査機関の手中にあるという事情がある・・弁護人からすると、証拠の管理の適切さは、証拠が開示されなければ一切検討することができない・・どのような証拠が開示されるか、資料の管理に関しどのような事情が証拠化されているのかが重要」(司法研修所「科学的証拠とこれを用いた裁判の在り方」63頁)、と指摘したものがある。
違法捜査の主張についても、全く同じことが言えるだろう。
いかなる疎明資料でいかなる強制捜査を決定し、令状裁判官に心証を取らせ、実行したかは、「被告人が体験し得ない場合が通常」である。これに弁護人が疑義を向けた場合、弁護人は、「証拠が開示されなければ一切検討することができない」のだから、「どのような証拠が開示されるかが重要」になる。例えば、それに応じない検察官が、決定的な不利益を被る仕組み(文書提出命令制度における真実擬制のような)を考えるべきである。
(弁護士 金岡)