連載中断序でに別の話題を。

刑弁系の研修として、捜査・整理手続・反対尋問・責任能力は、手前味噌だがお手の物である(ついでにそこまでの需要はないが要通訳事件研修も得手である)。何を行うべきか、それは何故か、怠るとどういう不利益が発生し得るか、ということを、理論的に説明でき、体系的に標準化した、明日から真似できる弁護実践を提供できると思う。

これに対し、時々(本当に時々・・10年で4~5回くらい)依頼される刑事控訴審の研修は、未だに不得手である。
最近、研修の依頼を受けて苦吟するも、やはり、理論的に標準化した弁護実践というものを提供すること能わない。

元来、刑事控訴審は手続規定に乏しく、通常第1審と比較して裁判所の裁量が野放しである。(理念的には)白紙の心証で、その気になるも何も一通りの手続を進めていく縛りを受けている通常第1審に比べ、控訴審裁判所は、その気になれば(ならなければ)原審から記録送付を受けた段階で心証を固め、その偏った心証を振り回して第1回公判でなにもさせずに終結してしまえる(即日判決すら可能であり、それを得意とする裁判官から即日破棄判決を受けたことすらある)という、救いがたい手続構造をしている。
そのため、原審でやることをやれていないと、控訴審で裁判所をその気にさせようにも攻め手を欠く。手続規定に乏しいため、「裁判所に言われない限り何もやらない」検察官も多くいる中で、検察官に証拠を出させようとするなら、裁判所をその気にさせるしかないが、裁判所をその気にさせるには検察官が握っている証拠を出させなければならないという、循環する矛盾を克服することは容易ではない。勿論、あの手この手で疑いを浮き彫りにしたり、独自に調査したりして、その気にさせられる場合はあるのだが、それが容易なら原審段階でどうにかなるだろうことから、逆転が容易でないのは理の必然である。
再審手続法が全く整備されておらず、裁判所の当たり外れで手続が大きく変わることに批判が向けられて久しいが、刑事控訴審もどっこいどっこいであろうと、日々の実践の中では思う。

ともあれ、このような実情があるので、刑事控訴審の弁護実践を標準化するというのは非常に難しい、というか無理がある。
煎じ詰めれば、究極、「第1審をしっかりやりましょう」「第1審でやることがやれていないなら、控訴審でそれをやりましょう」「手続が走り出せば、あとは第1審と同じです」という、控訴審研修に意味があるのか?という結論に至ってしまうのである。

かくして今回の研修も、ささやかな成功例、数多の不成功例を提供し、それを通して見えてくる勝因敗因を分析し、結局は第1審が最重要、という話になってしまったのである。個人的には成功例体験を聞く研修に殆ど意味はないと思っているので、忸怩たる思いではあった。

(弁護士 金岡)