東京地判2023年10月3日である。
判文中に、被告人の弁解が「一見あり得そうもない」と指摘されているが、最終的にはそれが排斥できないとして無罪判決に至っている(確定)。

【1】
自己使用にかかる被告人の主張は、要旨「逮捕直前に飲んだペットボトル水は、他所から貰ったものであるが、同行していた女性が先に、その水で覚醒剤使用済み注射器を洗ったのではないかと思う」というものであった。

裁判所自体が、この主張を「一見あり得そうもない」と言いながら、検討して排斥できなかった事情は、概ね、次の通りである。
(1)そのペットボトルは、被告人が逮捕後、弁護人を通じて返却されたレンタカー内から弁護人が車外に運び出し、その後はレンタカー会社が冷蔵庫で保管していたものと同一である可能性がある。そして、ペットボトルの飲み口からは被告人のDNAとして矛盾しないDNAが検出され、ペットボトルの水からは女性のものと認められる人血成分と覚醒剤が検出されていること。
(※返却からペットボトルの再発見まで10か月は経過していたようであるが、しかるべき鑑定結果が得られている点は興味深い)
(2)一見して人血と分からない程度のうっすらした、女性由来の人血成分と覚醒剤を混入させたペットボトルと逮捕後に作出することは現実的ではない。
(3)被告人は逮捕当初、自己使用を自認していたのであり、覚醒剤成分含有と知りながらペットボトル水を敢えて飲んだとも考えにくい。
(4)被告人に上記ペットボトルを手渡した警察官は、未開封であることを確認したと言うが、外見のみからでは未開封と誤認する可能性がある。人血成分の混入も、うっすらとした着色であり、気付かなかった可能性は十分にある。
(5)被告人の尿中覚醒剤成分濃度(355.63㎍/ml)について、検察官は、前記弁解を前提にするとあり得ない高濃度であるとするが、その科学的論拠は不十分である。
(※十分に科学的信頼の置ける統計がない上に、個人差、食事の有無、体調、酸性尿か否か等に左右される等と判示)
(6)知らずに飲むと吐き出してしまう様な苦みを伴うかは明らかでない。
(7)被告人は弁解を調書に書いて貰えなかったと主張するが、捜査担当警察官の態度からすれば(※後述する)その可能性は否定できない。

書こうと思えば余裕で有罪判決が書けそうな材料も多く目に付く。
例えば(5)の濃度論も、「覚醒剤を10㎎、摂取した場合の被験者の最高濃度が約4㎍/ml」というような実験結果があり(判文中にも引用されている)、そこからすると被告人の前記濃度355÷4=概ね90倍であるから、極めて単純化すると、被告人は覚醒剤を900㎎、服用したことになりかねない。覚醒剤1回の使用量は、耳かき1杯分、せいぜい0.03グラム=30㎎と言われているから、30回分相当をペットボトルの水から摂取したことになる・・あり得ない、という議論も十分に成り立ちうる感がある。
なお、判文中からは、ペットボトルの残量(どれくらいの量が体内摂取されたか)や、残量中の覚醒剤成分量は読み取れなかったことを付け加えておく。

私の経験した裁判例では、逆に、尿中覚醒剤成分濃度が低すぎるため、通常使用ではなく何かしらの意図しない摂取である蓋然性が否定できないと主張したことに対し、一切の理由を示さず「有意に高濃度である」とされたことがあるが(名古屋地・高裁)、そのように科学的素養ゼロの裁判官もいるかと思えば、上記東京地判のように、科学的思考を巡らした結果30回相当分でも合理的疑問を残すとする裁判官らもいる、という実情、当たり外れが大きすぎないだろうか。

【2】
さて、本件に於いて激しく争われた一つは、捜査機関が被告人に対し、定点カメラを利用した監視を行っていたところ、よりにもよって、逮捕当日のデータだけが、後日、消去されていたと言うことに関してである。(私がこの事案を知ったのも、愛知県弁護士会における違法捜査弁護研修の共同講師をお願いした戸塚弁護士が弁護人のお一人で、同事例も紹介して頂いたことによる)

裁判所は、旅券法違反による捜索差押えは(例え薬物検査キットを事前に用意していたとしても)薬物事案を本命にした別件捜査ではない、被告人は旅券法違反の捜索差押え時に発見された薬物用のものの無令状検査を黙示に承諾した・・・等として、薬物方面の違法収集証拠該当性を否定し、付け足しの様に、別件捜索でも違法な無令状鑑定でもないのだからデータ消去問題は影響を及ぼさない趣旨の判示をした。

データ消去問題について、「行為者の気付かないうちにフォーマット操作が行われることは考えがたい」ことを前提に、関与した警察官がみな「記憶がない」と証言していることを批判して、「真実の申告をしていないことは、適正な捜査手続に対する信頼を大きく害する」と批判しているが、他方で裁判所は、「故意に破損させる目的でフォーマットを実施したとまでは認められない」という珍妙な説示もし、結果的にお咎め無しである。

連日の監視カメラ映像のうち、よりによって逮捕当日のものだけが消えている、気付かないうちにフォーマットなどありえない、とすれば、意図的に消したと推認するべきなのではないだろうか。仮に被疑者被告人が、データを消せば、中身が分からなくても罪証隠滅と決め付けるだろう裁判所が、随分と親切な説示をするものである。

【3】
結局、この事例は、幾つかの点で「規格外」の感がある。
その遠因は、やはり監視カメラ映像の消去にあったのだろう(監視カメラ映像消去問題が、回り回って、被告人の弁解を調書に書かなかった問題にも波及している)。
監視カメラ映像の消去を巡る、不信感、不快感が、裁判所の心証を大きく左右し、結論的に、例え30回分相当をペットボトルの水から摂取したことになるとしても説明不可能ではないという突破をもたらした、とみるのは穿ちすぎだろうか。無罪は無罪で結構なことだが、その論理性、科学性を検証すると、なにやら釈然としない所も残る事例であった。

(弁護士 金岡)