一昨年だったか、「日本法科学技術学会誌」の掲載論文多数をウェブで閲読出来ると知って、片っ端から印刷して積み上げておいた。
ようやく消化したのだが、フォントから新聞を特定する研究だとか、コンセントプラグ内部の結晶化から火災原因を特定する研究だとか、はたまた燃料の油をクロマトグラフ解析して定性分析する・・等々、興味深いものから考えたこともない着想まで、引き出しを増やすには格好の勉強だった、と思う。
事実認定を制する上で、隣接諸科学の知見は欠かせない。
世の中には御用学者や似非科学の類いも氾濫しているから、批判的に観察する素養も身に付ける必要がある。上記のような文献に対しても、本当にそれが理論として確立していると言えるか考えながら読むとなかなか楽しいものである。
このように「積ん読」消化をしていた法科学技術系の文献の中に、たまたま燃焼学の伊藤昭彦教授の「法科学に果たす燃焼研究の役割」が紛れ込んでいた(日本燃焼学会誌第59巻188号)。
「寝屋川放火事件」(こういう名称になっていることは知らなかったが、私が控訴審から弁護人に加わって幸いにも逆転無罪に至った事案である)や、東住吉再審等で活躍された研究者であるが、法曹が重箱の隅をつつく非本質的な難癖をつけることを嘆かれ、次のように述べられていたのが印象的であった。ここに紹介しておく。
「(裁判所に見られる不可知論として)実験で行われた条件を厳格すぎるほどに求め、些細なことでも実際と異なれば、科学に基づいて得られた知識を否定するための手段に用いる」「すべてを同一にせずとも本質をきちんと押さえた再現実験は信頼性が極めて高い」(前掲論文14頁)。
まさに、科学的思考が出来ず、印象を糊塗する証拠操作のためのrhetoricに終始している判決によくある現象である、と大いに頷いた。
(弁護士 金岡)